◆ことばの話1490「派閥とグループ」
夕方の番組「ニューススクランブル」のSキャスターがまた、質問を持ってきました。
「最近、各新聞によって、自民党の派閥の呼び方が微妙に違うんです。『派閥』と呼ぶか、『グループ』と呼ぶか、その基準はどこにあるんですかね?」
そういいながら、各新聞での表記をまとめた紙を見せてくれました。それによると、
「橋本派、森派、亀井派、堀内派、山崎派、高村派」
の5つの派閥は、みな「派」というふうに分類(表記)されているのですが、それ以外の「派閥」は新聞によって違うのです。
(読売)
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(朝日)
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(毎日)
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(産経)
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(日経)
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小里グループ
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旧加藤派
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旧加藤派
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小里派
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小里派
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河野グループ
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河野グループ
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河野グループ
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河野グループ
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河野派
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二階グループ
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二階グループ
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二階グループ
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二階グループ
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二階グループ
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ということで、一番乱れているのが「小里グループ」「小里派」「旧加藤」派という3通りの表記がある「派閥」、そして「河野グループ」が主流ですが日経だけが「河野派」としている「派閥」、なぜか全社「グループ」としている「二階グループ」が、表記が統一されていないのです。
「派閥の人数によるんじゃないの?」
と言うと、Sキャスターは、
「でも、たとえば読売は小里、河野、二階が全部『グループ』で、人数はそれぞれ15人、9人、7人なんですが、日経はそのうち9人の河野は『河野派』、7人の二階は『二階グループ』なんです。それでも人数が基準なんでしょうか?」(11月21日現在)
「うーん、『派』は、歴史と伝統のある派閥だけが使うことにしているところもあるんじゃないかなあ。」
などと感想を述べたものの、どうもはっきりしません。さっそく書く新聞社の知り合いにメールで質問してみました。その結果は、
派閥と呼ぶかどうかは、やはり「人数と誕生の経緯(つまり伝統か)」で決まるようです。中には、
「派閥はかつては、党総裁選を目指す集団だったので、総裁選に出られる人数の集団のオーナーを、総裁候補の名前をとって『○○派』と呼び、少人数の政策集団を『○○グループ』と呼んで区別していたのだが、現在はその意味付けがあいまいになっている」
という意見もありました。また、
「『派』の一応の目安は、総裁選考穂のじょうけんである『推薦人20人』を目安にしている。」
という意見もありました。「高村派」なんかは、自分の派閥だけでは総裁選に立候補できないのに「派」とよばれて「グループ」でないのは、まさに「三木派」「河本派」の正当な流れを汲む伝統があるからなのではないでしょうか。
また、一番呼び方がバラバラな「小里グループ」「小里派」「旧加藤派」が、なぜ、呼び方が分かれるかという理由について考えてみると、
@派閥の人数が少ない(15人)
A小里氏は集団の代表ではあるが総裁候補ではない
B事実上、加藤氏の下に結集した集団であったが、加藤氏は戻っていない
というような理由が考えられます。
以前、いっとき「派閥は諸悪の根源である」として、新聞も「○○派」という表記をやめたことがありました。しかし、実態はそのまま残っていたため、すべての「元派閥」を、
「旧○○派」
と読んだこともありましたが、あまりにもナンセンスなので、今はそういうことは行われなくなりました。
「派閥」というものが自民党に生まれたときから、常に政治は動いていて、「派閥」が誕生した時の「派閥」という言葉と、現在の「派閥」が指すものの意味派変わってきているということでしょう。そうすると、新たな「派閥」(と、「グループ」)の呼称の統一した基準
を、改めて決めることも必要なのではないでしょうか。
2003/12/7
◆ことばの話1489「500億万キロ」
桜の紅葉の散り残りの向こうに見える団地。小学生ぐらいの子供たちの声がこだましています。
「それー、太陽爆弾だあ!」
「大丈夫やもんねー、ここはもう、500億万キロ離れてるもんねー」
500億万キロ・・・なーつーかーしー!!
なんで子供って、知ってる以上に大きく大きく数を誇張しようとすると、「億万キロ」なんて言葉を作ってしまうんでしょうかねえ。でも、なんとなく子供らしい言葉ですよね。
6歳の息子と一緒にスーパーに行きました。昨日、おりこうだったので、
「『ガチャポン』(200円)を1回してもいいよ」
と言うと、
「じゃあ、ボクの貯金箱からもう200円出して、400円のガチャポン、してもいい?」
「別にいいよ」
「わーい」
と、ガチャポンの機械の前に行くと、しばらく迷ったあとに、
「やっぱり、スーパーでおもちゃつきのお菓子にしていい?」
「いいよ。」
ということでスーパーに行ったのでした。そこで、400円までのお菓子を1つにするか、200円ぐらいのお菓子を2つにするか、迷っています。ようやく決まったと思ったら、
「これは200円やから、400円で2つ買えるよな!」
と言うので、
「200円ちょうどやったらアカンで。消費税があるからな。」
「100円やったら、消費税付いて105円?」
「そうや!よくわかったなあ。じゃあ、消費税って何パーセントか知ってる?」
少し考えた息子は、元気な声でこう答えました。
「100%!」
「たっかいなあー!」
と今度は私が答える番でした。わかっているのか、わかっていないのか。数字って、子供にとって不思議なものなんでしょうね。
2003/12/7
(追記)
5年ぶりの追記です。6歳だった息子は小学5年生、11歳になりました・・・なんと月日が経つのは早いものか・・・。
今日(2008年10月15日)の朝日新聞に出ていた小さな訂正記事には、こう書かれていました。
『12日付「英とアイスランド金融『冷戦』」の記事で、アイスランド系銀行に英国の諸団体が預けていた金額が「約10億万ポンド」とあるのは「約10億ポンド」の誤りでした。訂正します。』
そうだろうなあ、「10億万ポンド」じゃあ、子供のケンカだもんなあ。これもやはり「訂正」を出さないといけないのですね。それもつらいなあ。オトナってつらい・・・。
そして『放送研究と調査2008年10月号』の「ことば言葉コトバ」というコラムで、NHK放送文化研究所の太田眞希恵さんが「類推と誤用」というタイトルで、自分の6歳の娘の言葉について書いています。それによると娘さんは、自分より背が低い弟に対して、
「ここまで、届ける?届けない?」
と聞いていたと。もちろん正しくは、
「届く?届かない」
なのですが、6歳の子供でも、知っている言葉からの類推で知らない言葉を作っていく(たとえそれが間違っていようとも、ある種の類推が働いている)ことに対して太田さんは、
「ようやくひらがなの五十音図が欠けるようになったばかりの子どもにも、こんな類推ができるのだという人間の言語発達能力に対する驚き」
を感じるとともに、
「類推による誤用の広がりを想像できる実例」
として捉えています。
2008/10/15
◆ことばの話1488「もらせる自信がある」
神戸のJR三の宮駅構内を歩いていると、後ろから二十歳前後の若いカップルの、こんな話し声が耳に入ってきました。
「俺、トイレ行きたいねん。」
と若い男。
「我慢できへんの?」
と聞く彼女。それに対して答えた男の言葉は、こんなものでした。
「おれ、ここでオシッコもらせる自信ある。」
それだけは、やめてくれ。
早く公衆トイレに行ってくれ。
それにしてもこの言葉使い、おかしいと思いませんか。「オシッコをもらしてしまう」なんていう恥ずかしいことを「する自信がある」というのは、一体どういう物言いなのか。
普通は「〜する自信がある」というのは、困難だけれどもスゴイ、そして良いこと、素晴らしいことの時に使うものではないでしょうか。
ところが最近若い人の間で、全然素晴らしいことではなくて、恥ずかしいことやバカバカしくて普通はしないようなことをする、というバカげた行為について、この「〜する自信がある」という言い方をする傾向を感じます。この若い男の子の場合、本当は、
「ここでオシッコをもらす自信がある」
ではなくて、もしも、もらしてしまったら、なんともカッコ悪い自分が駅構内に立ち尽くし、周囲の冷たい視線を浴びる己(おのれ)がある、ということを冷静に客観的に想像して、
「ここでオシッコをもらす自身がある」
と言っていたのかもしれません・・・・んなわけ、ないか。
私の前に道はない。私の後に道はできる。なんか、流れてる・・・・。失礼しました。
2003/11/28
◆ことばの話1487「東京・名古屋・大阪」
12月1日午前11時、いよいよ地上デジタル放送が始まりました。読売テレビの地下1階の受付の机の上には「デジタル放送開始まであと○○日」という表示が、一年前の「365日」から出ていましたが、ついにそれも「0日」になりました。(その後、撤去されました。)
と言っても、今日(12月1日)から放送を受信できるエリアは、東京・大阪・名古屋の三大都市圏で、しかもたとえば大阪圏と言っても兵庫県の大部分はエリアに入っていないし、和歌山や滋賀、京都などもほとんどエリアに入っていません。
それはさておき、この情報・ニュースの中で、私が腹立たしく思っているのは、放送開始エリアを告知する時の「順番」です。なぜか、
「東京・名古屋・大阪」(首都圏・中京圏・近畿圏)
なのです。これまで三大都市をさす場合には都市(圏)の大きさから言って、
「東京・大阪・名古屋」
だったはずです。それが「東から順番に」呼ぶようになったのは、何が理由なのでしょうか?名古屋の方には申し訳ありませんが、納得できません。
これはすなわち、「大阪」の相対的な地位の低下に伴うものなのでしょうか。
納得できません。
と思っていたら、NHKのお昼のニュース(12月1日)では、
「東京・大阪・名古屋」
と言っていましたし、同じくNHKの午後3時10分過ぎの関西ローカルのニュースでは、
「大阪・東京・名古屋」
と言っていました。
それで、いいのだ!
夕刊(12月1日)の大阪版も調べてみました。それによると、
(読売)大阪、名古屋、東京
(朝日)関東、中京、近畿
(毎日)東京、大阪、名古屋
(産経)東京、名古屋、大阪
(日経)東京、大阪、名古屋
ということで、意外とみんなバラバラでした。大阪を最初に持ってきた(というか、西から順番にした)読売・大阪版、エライ!毎日と日経、よしよし。朝日と産経は、大阪より名古屋(中京)が先に来ていて、納得できません。
2003/12/7
◆ことばの話1486「前こごみ」
11月17日の午前1時40分頃、夜勤を終えて帰宅途中のタクシーの中で聞いたNHKラジオのラジオドラマ。青葉谷という関取が出てくる話だったのですが、その中で気になる言葉が一つありました。
「前こごみ」
それって「前かがみ(前屈み)」では?と思った私は、しっかりケータイにメモしたのでした。方言なのかなあ。
GOOGLEで検索(11月25日)すると、
「前かがみ」=2万4000件
「前屈み」= 1万1700件
「前こごみ」= 132件
ほとんど「前こごみ」は使われていないに等しいくらいです。古語かな。
『日本国語大辞典』を引くと、お!載っていたゾ!
「前こごみ(前屈)」=上半身を前へまげてかがむこと。まえかがみ。
用例は、樋口一葉の『われから』(1896)という小説から、
「前(マヘ)こごみに成りて両手に頭をしかと押へし」
というものと、徳富蘆花の『黒い眼と茶色の目』(1914)から、
「建仁寺籬をめぐらした蔭幽な竹の中路をやや前俛(マヘコゴ)みに歩いて往って」
という文がひかれていました。
どうやら「前かがみ」の古い形として「前こごみ」という言い方もあるようです、いや、あったようですが、現在は「死語」に分類されるのではないでしょうか。でも、なんか悪くないですよね、「前こごみ」も。
2003/11/25
(追記)
先週末、用語懇談会の年内最後の会合で東京へ行った時、懇親会でテレビ東京のKさんが、つつつっと寄ってきて、
「道浦さん、『前こごみ』は、富山では今でも使いますよ。」
「え?そうなんですか。Kさん、富山のご出身でしたっけ?」
「そうなんです。で、同じく富山出身の日本テレビのTさんも、使うって言ってましたよ。」
そうすると、富山ではまだ「死語」ではないということですね。伝統のある言葉が、こうやって残っているというのは、うれしいですね。これも「方言周圏論」にあてはまるのかな。
2003/12/15
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