◆ことばの話1485「じき」
新人のKアナに、
「そんなん、じき治るで。」
とかなんとか言ったときのこと。Kアナは、
「じき・・・ですかあ・・・?」
と言うではありませんか。もしかして・・・
「きみ、『じき』って、意味わからへんの?」
「・・・・ええ、『じきに』っていうのは聞いたことがありますけど・・『すぐに』ってことですよね。」
「それがわかってるんやったら、『じき』もわかるやろ?」
「・・・『すぐ』ってことですか?」
「ピンポーン、正解!『じき』って使わへんかあ?」
「うーん、あんまり使ったことないですねー。方言じゃないんですか?」
っそういわれるとこちらも不安になります。『新明解国語辞典』『新潮現代国語辞典』「岩波国語辞典」を引いてみたところ、ちゃんと載っていました。二葉亭四迷も使っているぞ。ということは、方言ではないということでしょうね。方言なら、方言と書いてあるでしょうし。
それにしても、こんな身近な言葉を、もう若者は使わなくなっているのかあ。そう思いながら見ていたテレビで、風邪がはやるこの季節にぴったりのこんな伝統的なコマーシャルをやっていました。
「ジキニンで、じきに治って!」
このコマーシャルも、もしかしたら、若者には通じていないかも。
2003/11/28
◆ことばの話1484「ウリ党」
11月12日の読売新聞朝刊の国際面に、
「韓国"与党"ウリ党正式発足」
という見出しが出ていました。韓国には「ハンナラ党」と「民主党」がありますが、現・大統領の愚武鉉(ノムヒョン)大統領が民主党を離党して作った第三政党がこの、
「ウリ党」(正式名称は「開かれたウリ党」)
なのです。
でも、「ウリ党」の「ウリ」って何?「瓜」?「ウリ坊」なら聞いたことがあるけど・・・と思い、よく記事を読むと、そこにはしっかりと、
「ウリは『我々』の意』
と書いてありました。それを見てハッとしました。
この「ウリ」は、日本語で言えば、「ワレ(我)」ではないのか?少し訛った感じで口の開きを小さくして「ワレ」と言えば、「ウリ」となるではないか!
そして、「我」=「われ」は「わ」だけでも古語では「自分」を指す。自分を指す男の言葉で「俺」=「オレ」があるが、これももしかしたら、「ワレ」と同じで、「オ」は自分を表すのではないか。そうすると「ワレ」「オレ」の残りの「レ」は何か。指示語の「これ、それ、あれ、どれ」、いわゆる「こそあど言葉」は全部「レ」が付くぞ。「こ」は近いところ、「そ」はちょっと遠いところ、「あ」はもっと遠いところ、と自分(主体)からの距離をあらわす。この残った「レ」は方向を表すのかもしれません。
もし韓国語の「ウリ」と日本語の「ワレ」が同じ語源だとすれば、日本語の「これ・それ・あれ・どれ」と同じ意味の言葉は、韓国語では「コリ・ソリ・アリ・ドリ」なのかも知れません。韓国語は知らないので、わかりませんが。
「こなた」「そなた」「あなた」「かなた」という方向と距離を現す言葉が、人を指す言葉に代わったように、「コレ・ソレ・アレ・ドレ」そして「ワレ」も、距離と人の呼び名が近く感じられる言葉なのは、韓国語(朝鮮語)でも同じなのでしょうかね。「彼(カレ)」もそうかな。でも「ウリ」1回だけで「我々」という「複数」を表すのか。「我々」だと「ウリウリ」にはならないのかな。
「ウリウリが ウリ売りに来てウリ売り残し 売り売り帰る ウリ売りの声」。
ハイ、ご一緒に。
なんか、朝鮮半島の言葉と日本語との距離の近さを「ウリ党」という言葉に感じたのでした。
2003/11/28
◆ことばの話1483「水死と溺死」
福岡の高校生が、土管をくくりつけた上、鉄アレイをリュックに入れて海に飛び込み自殺、その遺体が見つかったといういたましいニュースを、11月27日の「ズームイン!!SUPER」で伝えていました。
その中で死因は
「水死」
と言っていました。つまり、おぼれて死んだということですね。これを聞いて思ったのは、
「水死と溺死、意味はどう違うのだろうか?」
ということです。私の語感では、「水死」は水に入ったことが原因で死に至った場合で、たとえば水が冷たくて心臓マヒを起こして死んじゃった場合などは「水死」。それに対して「溺死」は、水に入って呼吸する際に空気の代わりに水を飲み込んでそれが肺に入ることによって窒息して死に至ることをさすような気がします。もちろん、いわゆる「溺れて水飲んで死ぬ」=「溺死」も、「水死」のカテゴリーに入ると思いますが。つまり「水死」の方が、語の応用範囲が広い気がします。
辞書を引いて見ましょう。
『新潮現代国語辞典』
「水死」=水に溺(オボ)れて死ぬこと。溺死(デキシ)。(例)「水死人」
「溺死」=水におぼれて死ぬこと。水死。(例)「今朝(ケサ)人が溺死した」「(敵前で波にさらわれた水兵の)運命は遅かれ早かれ溺死するのに定まってゐた」(三つの窓)
なんだ、まったくおんなじじゃないか。やな朝だね今朝ってば。
『新明解国語辞典』は、
「水死」=水中で死ぬこと。
「溺死」=泳ぐことができなくて(なって)おぼれ死ぬこと。
フム。こちらの方が簡潔だけど、「違い」は出ていますね。
そして、『岩波国語辞典』。
「水死」=水におぼれて死ぬこと。溺死(できし)。
「溺死」=水におぼれて死ぬこと。水死。
あー、これも同じだ!こうなったら、『日本国語大辞典』の出番だナ。
「水死」=水におぼれて死ぬこと。溺死(できし)
「溺死」=水におぼれて死ぬこと。水が気管・気管支・肺胞内につまって呼吸気道をふさぎ、窒息死する。水死。
おお、ようやく詳しい「溺死」の状況がわかってきましたね。ほぼ、私の解釈でよかったようです。
で、派生語彙として『日本国語大辞典』には、「水死」には「水死人」「水死体」「水死者」が、また「溺死」にも「溺死人」「溺死体」「溺死者」がありました。
2003/11/28
◆ことばの話1482「こわだり」
11月27日午前3時半過ぎ。いつものようにコンビニで朝刊を買い込み、「あさイチ!」の出演に備えて、迎えのタクシーの中で眼を通していると、S新聞にこんな訂正記事が。
「二十六日付朝刊の『長野産100%高級ワイン』の記事で、見出しに『こわだり』とあるのは『こだわり』の誤りでした。」
ぷぷぷ。結構、おバカな失敗ですね。でも、これを見てニヤッとすると同時に、私は考えました。
「なぜこんな単純ミスが起きてしまったのだろうか。いや、ひらがなが続いている文字の場合は、チェックをする人間ももう思い込んでいるから、『こだわり』が『こわだり』と書かれていても見逃してしまうことは(あってはならないとはいえ)よくあることだろう。
それよりもこの見出しを書いた人は、もしかしたら『こだわり』のことを『こわだり』と覚えていたのかもしれない。可能性は極めて低いだろうが。そして一番ありうるのは、キーボードを叩く時にローマ字入力で、『KODAWARI』と打ったつもりが、『DA』と『WA』が逆になってしまって『KOWADRI』になったのではないか?ということです。これは、もしペンや鉛筆で書いていたとしたら、まずありえないであろうミスです。キーボード・ローマ字入力だからこそ起きたミスといえるのではないか。」
便利のウラには怖いミスも待っているということですね。
それとともに、この間違いが「見出し」で起きたということにも注目です。
従来、新聞社では、記事を各記者、それに手を入れるデスクのほかに、見出しをつける「整理部」の人と、その見出しも含めて文章をチェックする「校閲部」の人がいました。そういう意味では「二重、三重のチェック」が行われていたわけです。しかし最近は合理化が進み(つまり人手を減らしたおかげで)、校閲は整理部の人が行うことになったという新聞社も(特に地方新聞社には)多いと聞きます。もしかしたら、そういったこともこの「見出しのひらがなの間違い」というミスの背景にあるのではないか?とも思いました。
ところで、この「訂正記事」、私がコンビニで買った「14版」には載っていたのですが、朝、会社で見た「15版」には載っていなかったのです。なんでだろう?と思って、そもそもその「ミス」が生じたという11月26日の朝刊(15版)を見てみると、なんとそこにはちゃんと、
「こだわり」
と正しく書いてあるではないですか。ということは、この「こわだり」というミスは14版までの版で起きて、すでに15版を出す前にはきづいて正しく「こだわり」に直されていたと。だから、翌日に出た訂正記事も14版(とそれ以前の版)にのみ載せて、15版には載せる必要がなかった、ということですね。新聞の朝刊は、遠方へ配達するものほど、早く刷り上り、版の数は小さくなります。一番最後に刷るものが、都市部など印刷所から近い所に配られるもので、一番新しい情報が載るというわけです。
小さな訂正記事の背景にどういったことがあるか。新聞って本当に奥が深いですねえ。
2003/11/28
◆ことばの話1481「旬さば」
新聞協会の用語懇談会の総会が、11月27・28日に佐賀県の唐津市で行われました。博多まで、ひかりレールスターのサイレンスカーで行って、そこから、地下鉄から直通の各駅停車の電車(だと思う。ディーゼルではないよね)でおよそ1時間半、25個目の駅が東唐津駅。さらに送迎バスで3分ほどのホテルが会場でした。
その長い長い各駅停車の旅の車中にぶら下がっていた吊り広告にこんな文字が書かれていたのです。
「旬さば」
この「旬」の漢字には「とき」と振り仮名が振ってありました。つまり「ときさば」と読ませるのでしょう。北海道には「時鮭」ってのもありましたね。「時知らず」もあったっけ。
「へえー、同じ九州の大分県には『関さば』というブランドがあるけど、それに対抗しているのかなあ?」
などと考えて、ケータイにメモしました。
そして東唐津に着いて、会議まで少し時間があったので、共同通信のNさんと一緒に昼食をとりに入ったお寿司屋さんには先客が。テレビ朝日のAさんでした。Aさんいわく、
「やっぱりイカの刺身がうまいよ。それと、このサバ!今朝、済州島近くで獲れたばかりなんだって!これが脂が乗っていて、うまいね!」
とのこと。われわれはすでに「アナゴの天ぷら丼」を注文したあとだったので、「よし、夜に食べるゾ!」と固く決心したのでした。
さて、会議の後の懇親会も終わって、二次会にNさん・Mさん・Tさんと4人で繰り出しました。そこでようやく待望の「旬さば」を口にすることができました。これがまた、ほんとによく脂が乗っていて、それでいて決してしつこくない。さっぱりとした後味の中に、ほんのり甘みが感じられ、サバというと「きずし」、つまり酢で締めたものというイメージがある私などの想像とはまったく別物、というお味でした。そのほかに、たこぶつや、クジラの刺身も。ああ、久しぶりに食べたな、クジラ。10年ほど前、アナウンス部の忘年会でハリハリ鍋を食べて以来だな。このクジラの刺身もまた、ごっついうまかった。
蕎麦焼酎の水割りも、クイクイと進む夜なのでした。
えーっと、なんの話でしたっけ?あ、「旬さば」でしたね。
いやあー、おいしいですよ、「ときさば」。サバ?(たしかフランス語かなにかで「知ってる?」という意味だったのは?)
皆さんも唐津に行ったら、是非どうぞ!!
2003/11/28
(追記)
12月12日の「ズームイン!!SUPER」で、
(大分)「関(せき)サバ」
(長崎)「旬(とき)サバ」
(佐賀)「吟(ぎん)サバ」
と、九州3大ブランド「サバ」を中継で特集していました。「旬サバ」は長崎なのかあ。
「でも、ぼくは普通のサバが好き!」
という人は、「コンサバ」?。(笑ってやってください。)
2003/12/15
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