◆ことばの話1255「各国の新学期はいつから?」
子どもが通う保育所のお友達に、中国の方がいます。学期の途中ですが、中国に帰ることになり、お別れです。その説明を保育所の先生がしていました。
「H君はね、中国では9月が新学期だから、それに間に合うように中国に行くんやて」
そうすると、子供たちが口々に叫びます。
「中国は9月から小学校始まるの?じゃあ、アメリカは?」
「アメリカは9月から。」
「イギリスはー?」
「うーん、イギリスはどうでしたっけ、 お父さん?」
子どもを保育所に送って行って、まだ残っていた私の方に、矛先が向けられました。
「え?いや、9月だと思いますけど。」
「じゃあー。サウジアラビアはあ??」
なんで、5歳児がサウジアラビアなんて国、知ってんねん?
「うーん・・また、調べとくね。」
こうして、なぜかサウジアラビアの新学期はいつからかを調べるハメになったのでした。
ついでなので、各国の新学期を調べてみました。結果は下の通り。驚きましたねー、こんなにバラバラなんですねー。知りませんでした。
(1月)シンガポール
(1月下旬〜2月上旬)オーストラリア、ニュージーランド
(2月)ブラジル
(3月)アフガニスタン、韓国、アルゼンチン
(4月)日本、インドネシア、ペルー
(5月)タイ
(6月)フィリピン
(8月)ハワイ
(9月)アメリカ、イギリス、アイルランド、サウジアラビア、カナダ、
カザフスタン、中国、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、
オランダ、エジプト、香港、台湾、トルコ、メキシコ、キューバ、
(10月)ナイジェリア、カンボジア
子供たちの素朴な質問で、私も一つ、賢くなりました。
2003/6/27
◆ことばの話1254「打者一巡」
大阪の朝日新聞のSさんから、メールが来ました。
野球で「打者一巡」と言えるのは、9人の打者が全員打席に入った場合か、10人、つまり最初の打者にもう一度打席が回った場合か、悩んでいます。
道浦さんとしてはどうお考えですか。あるいは放送の現場ではどう使っているのでしょうか。 お忙しいところを恐縮ですが、よろしくお願いします。
みんな、いろんな疑問を抱えてらっしゃるんですね。このところ、こういった質問が次々と寄せられて、この「平成ことば事情」、ネタには困りません。
「打者一巡」かあ。いつものようにインターネットの掲示板「ことば会議室」に投稿したところ、ご意見を頂きました。岡島昭浩さんからは、
「私の感覚では、10人目のように思います。『同じ人が二度』という感じ。 ただし、9人で攻撃が終わって回が改まり、前回と同じ打者から攻撃が始まる際であれば、『前回は打者一巡』というような気もする
。」
という意見を頂いた後に、
「十人目ではなく、九人目が終わった時点、というのが正確ではないかという気がしてきた。(中略)これは打者一巡だけでなく、年月の問題でもある。1/1からの一年は12/31までだが、6/21からの一年は翌年の6/20までなのか6/21までなのか、というような。」という意見を頂きました。一方、skid
さんは、
「10人目は二度の打席だから2巡目が始まるような気がします。 」
とのこと。これに答えて私も書込みをしました。
「岡島さん、そうなんです、うちのアナウンス部で後輩アナと話していてまったく同じ話が出ました。つまり去年の9月に何か『コト』が起きて、(たとえば)その8か月後の5月になった時点で、また『コト』が起きると、『1年ぶり』といえるのかどうか。この場合は「年」よりもさらに小さな単位の『○か月』があるので、『8か月ぶり』と言えばいいのですが、『11か月ぶり』はもう『1年ぶり』」と言っていいのかどうか。おおまかに言うと『11か月ぶり』は、ニアリー・イコール『1年ぶり』と言っても通ると思います。
そうすると、9人目のバッターがアップした時点で、おおまかに言うと『打者一巡」』と言ってもよいのではないかと。ただ、正確に言うと、9人目が終了した時点、つまり、『1年ぶり』は、その『コト』が起こった『時』に、究極に近い時間が終了した時点、これも大まかに言うと、その『コト』が起きてから『ちょうど1年』になった時点を指すのではないでしょうか。
9人目が終わったことを"後から見れば"『打者一巡とは言える』が、9人目が来た時点では『打者一巡とは言えない』ような気がしてきました。しかし、9人目がバッターボックスに入って時点で、近い未来を指す意味で、『これで打者一巡となります』という言い方は出来るのではないかと思います。『打者一巡となりました』は間違いでしょうが。どうでしょう???」なんか、哲学的で難しくなってきました。その後、また朝日のSさんからメールが来ました。
「スポーツ紙に聞いてみたら、これまで10人目で一巡と言ってきたが、 東京から『アメリカでは9人で一巡としており、今後はこれで統一したい』と打診があり、結論は出ていない、とのことでした。 理論的には9人で一巡と思いますが、最初の打者に回って初めて一回りしたという方が、感覚的には自然、ということなのでしょうか。」
日米で違うのか!?それもちょっとヘン話ですが。こんなにややこしい話だとは思っていませんでした。今後も気を付けていきたいと思います。
2003/6/27
◆ことばの話1253「メモリとメモリー」
昼食からの帰り道、急に振り出した雨の中、足早に歩きながらケータイでメールをうっている新人アナのKさん。
「知ってるか?ケータイは雨に弱いんやで。」
と言うと、Kアナはにっこり微笑んで、
「これぐらいの雨は大丈夫ですよ、メモリが消えることはありません。」
この「メモリ」というのが、平板アクセントで「メモリ(LHH)」だったので、私は一瞬、彼女が何を言っているのか、わかりませんでした。
「一体、何の『目盛り(LHH)』なんだろうか?」
と思いました。彼女の言う「メモリ(LHH)」が、住所や電話番号、アドレスなどを書き込んである「記憶データ」、つまり「メモリー(HLLL)」のことであるのに気づくまでに2、3秒かかりました。分った後に、
「あのさ、それのアクセントは頭高で『メモリー(HLLL)』じゃないの?」
というと、彼女は、さもおかしそうに、
「えーっ!『メモリー(HLLL)』じゃ、『思い出』という意味になるじゃないですかあ!」
と笑いながら言うのです。まあ、そりゃ、「愛のメモリー(HLLL)」なんて曲もあったけど。知らない?あっそう。「メモリー(HLLL)」と頭高アクセントだと、必ず「思い出」になるわけもないではありませんか。しかし、もしかしたら、若い人は、記憶データの「メモリー」を「目盛り」と同じく平板アクセントで言うのかもしれないと思って、周囲で聞いてみました。
Sアナ、K部長は、頭高アクセントの「メモリー(HLLL)」、MアナとアルバイトのDさんは、「頭高アクセントと、平板アクセントの両方使うような気がする」。そして、パソコンに詳しいWアナと若いSアナは、Kアナと同じ平板アクセントの「メモリ(LHH)」でした。Wアナに「頭高のメモリー(HLLL)とは言わないの?」と聞くと、
「うーん、英語なら頭にアクセントが来て『メモリー(HLLL)』ですけど、日本語(外来語)で言う時は、『メモリ(LHH)』ですね。語尾も伸ばしません。」
「それやと、ものさしの『目盛り(LHH)』とアクセントが一緒になって混同せーへん?」
「それはしませんね。関西弁やと、『目盛り(LHL)』と中高アクセントになるから。」
あ、そうか。確かに。でも東京の若い人やパソコン通の人は、「目盛り」と「メモリ」、同じアクセントで混同したりしないんでしょうかねえ。まあ、ハンバーガーもコンピューターも、同じアクセントの「マック」で済ましているんですから、このぐらい大丈夫かもしれませんね。
2003/6/27
(追記)
7年半ぶりの追記です。アウンサン・スー・チーさんと同じぐらいか・・・。
2010年11月12日のお昼のニュース放送で、尖閣映像の流出に関して、どうやってそれを持ち出したかという話の中で、日本テレビと読売テレビでの表記・発音が異なりました。(同じ画面で異なる表記が出てしまった。)
日本テレビは「メモリー」、読売テレビは「メモリ」でした。各新聞はすべて「メモリー」と伸ばしていました。(「USBメモリー」)
協議の結果、読売テレビも、
「メモリー」
に統一することにしました。
2010/11/15
◆ことばの話1252「フリーター3」
平成ことば事情1203「フリーター2」でフリーターについて書きましたが、その後も、フリーターに関する情報が、新聞紙面を賑わわせています。
6月14日の日経新聞夕刊「されど団塊」。第3部の5回目。6月10日に石川県小松市にオープンした釜飯と串焼きの店「とりでん」では、店長以外の14人はアルバイトやフリーター。店は正式開店を前に、アルバイト従業員の両親を招き職場を見てもらおうと、"父母参観日"を設けたそうです。「フリーター参観」という見出しも出ていました。
日本フードサービス協会によると、外食産業の従業員430万人の約89%、384万人はパートかアルバイトだそうですから、フリーターは貴重な戦力です。
でもこの記事だと、両親の気持ちは複雑。父親は、自分の職場にパートやアルバイト、フリーターの従業員がたくさんいて、身近に感じてはいても、「自分の子どもがフリーターとなったら話は別で心配だ」という男性の心境を記していました。
6月19日の朝日新聞の社説は、
「フリーター・働く意欲を引き出そう」
と題して、厚生労働省、経済産業省、文部科学省、内閣府の4省庁が、若者のフリーターや失業者の増加に歯止めをかける対策として打ち出した「若者自立・挑戦プラン」という3年計画について論じています。その中で、「若者を現場に連れて行き、実践を通じて働く意欲を引き出す」ことや「若年層の失業率が際立って高いのも、フリーターとの関係が深い」こと、そして「正社員になりたくても、あきらめるしかない現実が、若者の就業意欲をすり減らしている」ことなどを記しています。
そしてさらに「学歴が低く育った家庭が豊かではない若者にフリーターが多いとの調査結果もある。放っておけば経済格差が固定化していくだろう好ましくないことだ」「この国の将来を託す若者がよりよい就業先を見出せるような、社会の新しいしくみを作ることが政府、学校、企業が一体となった対策の目標であり、大人達の責任である。」と結論づけています。
そして、同じ朝日新聞はその翌日の20日、せっかく「やろう!」と「骨太の方針2003」に盛り込まれたフリーター対策「若者自立・挑戦プラン」は、
「波高し」
と出ています。省庁間に溝があって予算も割けないというのです。それによると、雇用創出の目標数値もなく掛け声だけ。地域就職支援センターー(通称・ジョブカフェ)は経済産業省の構想。3年間で1人あたり100万円の費用を想定しているといいます。
一方、厚生労働省が、所管の「ハローワーク」を通じて1人の就職にかける費用は5〜7万に過ぎないので、「経済産業省は金をかけすぎる」という声が出ているのだそうです。
何を、もめてんだか。
この記事の最後にも書いてあるように、定職のない若者の増加は、将来、人材の枯渇という形で経済・産業の基盤を揺るがし、税制や社会保障制度の大きく歪めかねません。
フリーター問題は、単に「若者の問題」ではなく、我々、若者ではない者にとっても大きな問題であるという意識を持つことが、今、必要なのではないでしょうか。
2003/6/27
(追記)
さらにさらに、6月24日の日経新聞・夕刊には、
「フリーターや早期離職 増加」
という記事が。政府は24日に「2003年版・青少年の現状と施策」(青少年白書)を閣議決定したのですが、それによると、フリーターの増加など青少年の労働意識の変化も浮き彫りになっており、雇用環境はさらに悪化。15歳から19歳の失業率は12、8%にも達しています。20歳から24歳でも9,3%という高い失業率です(全年齢の平均失業率は5、4%)。
この状況を変え、若者の意識を変えるためには大人が何とかしなくてはならないことは、自明の理です。
2003/7/3
(追記2)
3月上旬、NHKの番組で「フリーター417万人の衝撃」という番組をやっていました。
出演者は司会の三宅アナウンサーと、経営者側代表が経済同友会代表幹事の北城恪太郎、労働者側代表が連合の笹森清会長。
その番組によると、2001年には正社員とフリーターの割合は78対22ですが、2010年7対3、2035年は6対4、そして2050年にはついに5対5になるとのこと。それによって出てくる問題点として、正社員の生涯賃金が2億3千万円なのに、フリーターの生涯賃金は6000万円と、正社員の約4分の1であると。そうするとどうなるかと言うと、フリーターが増えると個人消費も税収も減って経済活動が縮こまる、ということでした。もちろん、安くて優秀な労働力を得られることは、経営者側にとっては良いことではあるのですが、労働者は同時に消費者・お客様でもあるわけですから、そこのところのバランスが重要になってくるのです。
一方、3月11日の日経新聞には、
「フリーターに高い評価〜仕事ぶり86%『満足』」
という見出しで、大阪市信用金庫が今年2月に大阪府内の取引先企業1240社を調査、うち1153社から得た回答を載せています。それによるとフリーターを採用している企業は19,2%で、そのうち86,4%は仕事ぶりに「満足」していて、27,1%は「正社員と遜色がない」と答えているそうです。仕事ぶりが満足して正社員と遜色がないのなら、正社員と同じ賃金を払うべきだと私は思うのですが、正社員と同じ賃金を払うとなると、きっと仕事ぶりには「不満足」で、正社員と比べて「遜色がある」というアンケート結果になるのではないでしょうか。それを裏付けるように、フリーター雇用の理由の1位は「雇用調整が容易」(42,2%)、2位は「人件費の節約」(40,8%)という回答もあります。「優れた若年労働力だから」という16,1%の回答をした企業は、「正社員として」、その「優れた若年労働力」を雇用すべきでしょう。
しかし、フリーターが低賃金で「正社員と遜色がない」仕事ぶりを見せるのであれば、逆に、フリーターに比べて高賃金の正社員の仕事ぶりには「不満足」となるのではないか?とも思います。そういう意味でこの「仕事ぶりは正社員に比べて遜色がない」と答えた企業経営者は、正社員とフリーターの両方を甘く見ている(バカにしている)ように思えますが、いかが?
なお、「労働経済白書」に準拠した「フリーターの定義」は、(1)15歳から34歳(2)各種学校の卒業者(3)女性は未婚(4)勤め先での呼称がアルバイトかパート、だそうです。でも、NHKテレビでもやっていた、
「30代(以上)のフリータ―」
の問題も今後大きくなってきそうです。
2004/3/11
(追記3)
先日、車で街を走っていた時に目に入った、店の貼り紙に、
「フリーター募集」
と書いてありました。「アルバイト募集」とか「販売員募集」ならわかりますが、「フリーター」を募集しても・・・と思いましたが、それだけ「フリーター」というのが「アルバイト」「アルバイター」にとって変わる言葉になっている証拠でしょう。Google検索では、
「アルバイト」 |
= |
160万 |
件 |
「フリーター」 |
= |
21万 |
件 |
「アルバイター」 |
= |
2万 |
0600件 |
「販売員」 |
= |
7万 |
6400件 |
でした。ちなみにドイツ語では「アルバイター」は「正社員」の意味なんだそうです。
2004/6/8
(追記4)
6月18日の読売新聞朝刊に、
「新入社員3割『フリーターになるかも』」
という見出しで、財団法人「社会経済生産性本部」などが行った全国の今年春に入社した新入社員の男女3800人の意識調査の結果が報告されていました。それによると、進路を決める際に「フリーターになってしまうかも知れないと思った」人は全体の35%、特に最終学歴が短大・高卒の人は半数近くを占めたそうです。また、全体の21%が「別にフリーターでも構わないと思った」そうです。そして今の会社で継続して働くかどうかは、「状況次第で変わる」が45%。まあ、「状況次第で変わる」というのは当たり前かもしれませんが、「フリーターになる可能性がある」と答えた人はが31%に上ったそうです。
社会経済生産性本部では、
「今の若者たちは、フリーターも可能性の一つとして根付いてしまっているようだ」
と分析しているとのことです。これは景気との関連もあるので、すぐに「若者が悪い」とは、全然言えないと思いますが、長引いた(と、過去形にしておこう)不況は、若者たちの気持ちの形成・将来の夢にも大きな影響を与えてしまったのだな、と感じました。
2004/6/18
◆ことばの話1251「襟首」
東京の読売新聞のSさんからメールが来ました。
「『襟(えり)首をつかむ』という表現を時々目にします。襟首は『首の後ろの部分』という意味のはず。ネコの襟首はつかめても、人間の襟首はなかなかつかめるものではないと思います。それどころか、『襟首が破れた』という表現も目にしました。『首の後ろの部分』が破れるわけがありません。おそらく『服の襟』のことを『襟首』と表現しているのでしょうが、こういった使い方はどう思いますか?」
ハハあ、なるほど。ふだんは確かに「服の襟」のことを「襟首」と言ってしまっている気もしますね。
そこで、こんな返事のメールを送りました。
『日本国語大辞典』では「襟首」は確かに「首の後ろの部分」となっています。「えりぐり」との混同もあるのではないでしょうか。
新しい言葉をすぐに取り入れる『三省堂国語辞典』では「襟首」は「えり」(2)となっていて、「首の後ろの部分、うなじ」となっているものの、用例に「襟首をつかむ」があります。「ネコの襟首をつかむ」のが一般的なので、人間でも比喩的に衣服の襟をつかんだ状態を「襟首をつかむ」というのではないでしょうか。
Google検索で出てきた「襟首」には、「襟首綿セーター」「襟首綿100%」など、「衣服の襟」の意味で「襟首」が使われたものがずいぶんあるようです。
とりあえずの御返事です。 道浦 俊彦
一般の人が「誤用」として「襟首」を「衣服の襟」の意味で使ってしまうのは「許容範囲」かも知れませんが、こうして「本来の意味」が分った以上、我々マスコミの人間は、「本来の意味」を使う立場を取るべきではないかな、と思うのです。こういうのを、
「襟を正す」
と、言います。「襟首」を正さないように・・・。
2003/6/27
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