◆ことばの話1015「命名権」

去年、見つけてまだ書けなかったテーマ、このところようやく書いています。これもそうです。



去年の11月29日、東京・調布市にある「東京スタジアム」の命名権が売却され、2003年3月から「味の素スタジアム」という名前になることになったというニュースです。



買い上げた命名権は、5年間で12億円。広告費として高いのか安いのかは、ちょっと分りませんが、結構な値段ですよね。



12月5日の読売新聞の解説面でこのことに触れて解説をしています。(読売新聞運動部の川島健司記者。この方は少し前、ロンドンから署名記事をよく書いてらっしゃいました。)



「命名権売却〜スポーツ施設 安定経営の助け 企業、ファンへの配慮など課題も」



とタイトルがあります。



日本で公共施設の命名権が売却されたのは今回が初めてで、東京スタジアムでは87の企業と交渉を行なったそうです。でもアメリカ大リーグ30チーム中、15のスタジアムで導入され、イチロー選手が所属するマリナーズの本拠地「セーフコ・スタジアム」も保険会社の名前なんだそうです。



オリックスの本拠地グリーンスタジアム神戸や、サッカーJ1のヴィッセルのウイングスタジアム神戸でも、同じような動きがあるそうです。



また、この記事では、



「命名権を持つ企業に不祥事があった場合にはどうするか。大リーグアストロズは、経営破たんした米エネルギー大手のエンロンと30年1億ドルの契約を結んでいたが、倒産が球団イメージを損ねたとして、訴訟の末に命名権を買い戻した。」



ということにまで触れています。確かにこのご時世ですから、何が起こっても不思議ではないし、大変ですよね。



年が明けて1月24日(今日です)の日経新聞で、W杯開催スタジアムのその後をテーマにした記事が載っていました。その中で



「命名権導入など増収へ知恵絞る」



「活用策意見交換へ全国会議」



と題して「命名権」にも触れていました。本文では、



「昨年のサッカーのワールドカップ(W杯)で試合を開催したスタジアムが、施設名称に有料で企業名を付ける命名権(ネーミングライツ)導入など増収策に知恵を絞っている。」



として、東京スタジアムが「味の素スタジアム」に変更したのを受けて、横浜国際総合競技場を外郭団体で運営する横浜市は2003年度予算に命名権調査費を計上する予定だとか、「埼玉スタジアム」や静岡県も同様のスポンサー探しをしているといったことが書いてあります。ただ、大分県W杯推進局が言うように、



「命名権は大企業の少ない地方では難しい」



のもまた事実のようです。たしかに中小企業や個人がスポンサーになると、たとえば



「○×工業△△信用組合●●商店××鮮魚店▲●美容室スタジアム」



と、「寿限無」かお経のようになってしまう可能性もないとは言えませんからね。



このビジネス、うまく回転していけばいいのですがね。



2003/1/24


(追記)

3月5日の日経新聞夕刊に、こんな記事が。

「湘南海岸など命名権導入へ〜定期清掃で企業に見返り、国交省がモデル事業」

それによると、2003年度に国土交通省は、企業が定期的に海岸を清掃する見返りに、海岸の愛称に企業名を付けるネーミング・ライツ(命名権)を与えるモデル事業を、神奈川県・湘南海岸と静岡県内の海岸の海浜で実施するとのこと。
うーん、そんなことを 海岸の名前でやっちゃっていいのだろうか?そんなことをすると、今後、大森海岸で「大森のお海苔ちゃん海岸」とか、神戸の須磨海岸が「須磨SMAP×SMAP(スマスマ)海岸」とか、なんだかなぁの海岸だらけになってしまわないでしょうかねえ。
湘南海岸でたとえば「トヨタ湘南海岸」とか「ニッサン湘南海岸」とか。困るのは、携帯電話の会社がスポンサーになった時です。

「ドコモ湘南海岸」

日本全国ドコモが「湘南海岸」になってしまいます。
へえー、ショーナン。

2003/3/6


(追記2)

7月6日、NHKのスポーツニュースを見ていたら、「味の素スタジアム」のことを、字幕で

「味スタ」

と出していました。新聞では確認していましたが、テレビ、しかもNHKも、もう字幕では「味スタ」を採用したんですね。慣れるの、早いなあ。

2003/7/7


(追記3)

8月1日、日韓ワールドカップの決勝が行われた横浜国際総合競技場のネーミングライツ(命名権)を募集していた横浜市は、「名付け親」が現れなかったため、計画を事実上白紙に戻すと発表しました。時事通信によると、横浜市は、

「年間5億円程度で、5年間以上の契約」

を条件に、5月末から184社と接触したそうで、自動車大手や飲料メーカーなど数社と大詰めの交渉まで行ったそうですが、金額面で折り合わなかったそうです。高過ぎたのね。いくらワールドカップの決勝の会場とは言え。

2003/8/5


(追記4)

8月23日日経新聞夕刊
「海岸の命名権 暗礁に」
という見出しが。思わず記事に見入ってしまいました。それによると、
「海岸のごみ対策として国土交通省が構想している、海岸のネーミング・ライツ(命名権)事業が壁にぶつかっている。」
として、海岸の清掃の見返りに海岸の愛称を企業に付けさせようとしたのですが、地元の反対に遭っているのだそうで。
モデル事業として名前が挙がった神奈川県の湘南海岸は、地元の神奈川県が、
「今の地名が浸透しており、地元から反発が出るおそれがある」
と話が頓挫。砂浜の「海の家」には個別にスポンサーが付いているので、
「海岸一帯に企業の名前を付けるとなると、難しい調整が予想される」
と、県の担当課は及び腰。静岡県も、具体的な候補地が挙がる前に降りてしまったとのことです。国土交通省の担当者は、
「地名への住民のこだわりは強く、スタジアムなどの施設とは違う難しさがある」
と認めつつ、
「『前例が出きれば、関心を持つ自治体は多いはず』と意欲は失っていない」
と記事は結んでいます。
なんでもかんでも「ビジネス」にすることの難しさ、でしょうか、ねえ。


2003/9/7

◆ことばの話1014「一歩譲って」

後輩のUさんから、
「『百歩譲って・・・』という言い方は正しいのでしょうか?」
と質問されました。
「別に・・・おかしくないんじゃないの?」
と思って、なんでそんなことを聞くのか、聞いてみると、
「私は『一歩譲って』だと思っていたんですけど・・・。」
という答え。こういうのって、たしかになかなか辞書には載ってないんですよね。諺でもないし。そこでいつものようにインターネットGoogleで検索してみました。



「百歩譲って」・・・1万8000件
「一歩譲って」・・・・・1800件
「何歩譲って」・・・・・・・16件




という結果が。圧倒的に(ちょうど10:1で)「百歩譲って」が使われています。
でもこれって、そもそも別に「五十歩譲って」でもいいし、「二百歩譲って」でも「千歩譲って」でもいいわけですよね。「何歩ぐらい譲って」いるかは、その人の「懐の深さ」、あるいは「はったりの大きさ」によるわけですから。よおし、ネット上の「○歩譲って」を「一」からもっと検索してやるぞお!
「一歩」=1800件
あ、そうか。ここで気付きました。「一歩譲って」というふうに漢数字ではなく「1歩譲って」アラビア数字を使ったのは、また別にカウントされますね。両方調べなくては。



「1歩譲って」・・・・5890件
「100歩譲って」・・6000件




おお!これだと「1歩」も「100歩」もほぼ互角の戦いですぞ!
切りの良い数字で、漢数字とアラビア数字、調べてみましょう。



「10歩」・・・4880件
「十歩」・・・95件
10歩も結構使われていますね。



「1000歩」・・・1540件
「千歩」・・・・・・・367件




「10000歩」・・・410件
「1万歩」・・・・・・461件
「一万歩」・・・・・・236件




「100000万歩」・・49件
「10万歩」・・・・・380件
「十万歩」・・・・・・・・6件

気前ええな。



「1000000万歩」・・・29件
「100万歩」・・・・・・348件
「百万歩」・・・・・・・・265件

そんなに譲らんでも。



「10000000歩」・・・・8件
「1000万歩」・・・・・131件
「一千万歩」・・・・・・・・・9件

だいぶ減ってきたな。



「100000000歩」・・・14件
「1億歩」・・・・・・・・・・80件
「一億歩」・・・・・・・・・・26件

まだやるか・・・




「1000000000歩」・・・・6件
「10億歩」・・・・・・・・・・71件
「十億歩」・・・・・・・・・・・・1件




ひゃ、ひゃくおく〜!というコマーシャルが昔ありました、ビフィズス菌。
「10000000000歩」・・・6件
「100億歩」・・・・・・・・・46件
「百億歩」・・・・・・・・・・・14件




もう、よくわかんな〜い(甘えた声で)・・・
「100000000000歩」・・・・・2件
「1000億歩」・・・・・・・・・・18件
「一千億歩」・・・・・・・・・・・・・0件

もうそろそろ、なくなりそうだ。



「1000000000000歩」・・・4件
「1兆歩」・・・・・・・・・・・・・13件
「一兆歩」・・・・・・・・・・・・・16件
なんでまた増えるのよ。



「10000000000000歩」・・・0件



「10兆歩」まで来て、ついにアラビア数字だけを並べた「○歩譲って」はなくなりました!ここからは、「○兆歩」を個別に見てみました。



「5兆歩」・・・1件
「五兆歩」・・・0件




「7兆歩」・・・・1件
「七兆歩」・・・・2件




「10兆歩」・・・・1件
「十兆歩」・・・・・0件




こうして私が捜した中で、「最高に譲歩」しているものは、



「100兆歩譲って」



でした(1件のみ)。
しかし!これは「譲る歩数の気前よさ」とは裏腹に、
「まったく自分の立場を譲る気はない」「妥協の余地はない」

ことを示しています。なぜならば、
「それだけ譲ったとしても、譲れるのは(たったの)これだけ。」
と言っているに等しいわけですから。譲る歩数を増やせば増やすほど、度量が狭く感じられるようになります。もちろん、あまり歩数を譲らないと「頑固」だと思われますし。その辺の「頃合い」が難しそうですね。



そうそう、「100兆歩」の後になんなんですが、こんな表現・譲り方もありました。



「半歩譲って」・・・・37件



ケチ。
でも、こちら(半歩)の方が「100兆歩」よりも、実は、相手に譲っているケースの方が多いのではないでしょうか。
教訓。大きな数字を吹く人には、ご用心!
(参考)
「3歩譲って」・・・・5470件
「三歩譲って」・・・・・・40件

「サンポ」は語呂がいいのでしょうね。「三歩下がって、師の影踏まず」「三歩下がって、四の五の言わず」。なんちゃって。
あ、そうそう。何歩譲る人が多いのかのランキング「ベスト10」を、最後にまとめておきましょう。



(1位)百歩・・・・・・・・・1万8000歩
(2位)100歩・・・・・・・・・6000歩
(3位)1歩・・・・・・・・・・・5890件
(4位)3歩・・・・・・・・・・・5470件
(5位)10歩・・・・・・・・・・・4880件
(6位)一歩・・・・・・・・・・・1800件
(7位)1000歩・・・・・・・・1540件
(8位)1万歩・・・・・・・・・・・461件
(9位)10000歩・・・・・・・・410歩
(10位)10万歩・・・・・・・・・・380件
(次点)千歩・・・・・・・・・・・367件




ということでした。これを「百」と「100」は同じと考えて整理すると、



(1位)100歩、百歩・・・・・2万4000件
(2位)1歩、一歩・・・・・・・・・7690件
(3位)3歩、三歩・・・・・・・・・5510件
(4位)10歩、十歩・・・・・・・・4975件
(5位)1000歩、千歩・・・・・・1907件

このあたりまでは、それぞれかなり使われている(定着している)と考えて良いのではないでしょうか。


2003/1/30


(追記)

今読んでいる、山田俊雄著「詞苑間歩(上)」(三省堂)の中に(364ページ)、「一歩譲って」が出てきました。



「一歩譲って、『モクチン』と『キチン』との重ね合はせは単なるぺダントリーにすぎないもの、悪意はないものとして見てもよい。しかし、語感といふものは、社会的共有の部分のほかに、きわめて個人的で特殊なものを伴ふことが多い。」



これは「木造賃貸アパート」のことを「木賃アパート」と書いて「モクチン」アパートということに対して1988年に書かれたものです。(本は1999年に出ています。)著者の山田俊雄さんは『新潮国語辞典』などの編者で、1922年生まれ。成城大学名誉教授です。

2003/1/30


◆ことばの話1013「トゥーランドット」

今年の私のお正月休みのハイライトは、やはりオペラを見に行ったことでしょうか。大阪・中之島のフェスティバルホールで開かれた、ポーランド国立歌劇場の公演。演目は、プッチーニ作曲の

『トゥーランドット』


でした。見に(聴きに)行くまでよく知らなかったのですが、どんなストーリーかと言うと、

「昔、中国にトゥーランドットという名前の、美しいが氷の心を持つお姫様がいた。彼女に求婚する男は、まずどこかの国の王子であって、姫の出す3つの難問を解かねばならない。解けば姫と結婚できるが、もし失敗すれば首を切られて殺されてしまう。」

というようなものでした。

「なーんだ、竹取物語じゃないの」


とストーリーを見て思いました。とてもわかりやすい筋立てです。
驚いたのは、「その舞台が中国だ」ということです。「トゥーランドット」なんて姫の名前、どう聞いたってヨーロッパだと思うでしょ?でも舞台は中国。ということは、

「この『トゥーランドット』という発音に当てはめる漢字があるのではないか?」

と、オペラを見ながら考えました。「東蘭独人」とかなんとか。
残念ながら中国の漢字の現地の音はよく分らないので、中国に留学経験のあるT先輩に聞いたところ、

「プッチーニは、中国の漢字では、『普西尼』と書くのは知っているけど、『トゥーランドット』は分らないな。調べておくわ。」

ということで、今、返事を待っているところです。

2003/1/10


(追伸)

T先輩から、待ちに待った手紙が届きました。

「『トゥーランドット姫』は、『杜蘭朶公主』と表記します。『公主』は『姫』なので『トゥーランドット』は『杜蘭朶』。また最初『プッチーニ』は『普西尼』と伝えましたが、これは台湾流で、現代中国では『普契尼』と表記します。プッチーニは『蝶々夫人』でも判るように、その土地における悲恋物語などを題材にする例が多く、この『トゥーランドット』は、中国人とダッタン民族の交流の秘話とも言われているそうです。以上、摂南大学のT教授に調べていただいた結果です。」

ありゃまあ、いろんな方にお手伝いいただいて・・・。どうもありがとうございました!
最初に予想した「東蘭独人」と「蘭」だけ合っていましたね。
これで謎が一つ解けました。よかった良かった、すっきりした。

2003/1/20


(追記)

サッカーと音楽に造詣が深い、医師のT氏から、メールをいただきました。
「プッチーニのトゥーランドットは好きなオペラなのでよくLDを見ます。トゥーランドットの名前の由来に関しては、最上英明氏の『トゥーランドット物語の起源』と題した論文がありますので、これを読めばよくわかりますよ。」
として、URLが示してありました。
www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/turan2.html



これは『香川大学経済論叢』第71巻第2号(1998年9月発行)に掲載されたものだそうです。これをご覧になればよくわかのですが、簡単に要約すると、



「この物語と同じようなストーリーのものは数多くあったが、ペティという人の書いた『千一日物語』(1711年)が、プッチーニの『トゥーランドット』(1926年)の起源ではないか」



というもので、従来、プッチーニ版のもとになったと言われたゴッツィという人のもの(1762年)と並べて、主要登場人物の名前を記してあります。



(ペティ) (ゴッツィ) (プッチーニ)
(1711年) (1762年) (1926年)
Tourandocte Turandot Turandot
Altoun-Khan Altoum Altoum
Calaf Calah Calaf

(以下、略。最上英明氏作成の表より。)
舞台は中国ではありますが、話の内容にはイスラム圏の雰囲気も漂っています。もしかしたら、「トゥーランドット」という名前には、トルコあたりのイメージも付加されているのかもしれませんね。
なお、最上英明さんはサイトでみると香川大学の助教授のようです。
Tさん、ご教示ありがとうございました。

2003/2/5


(追記2)

2006年2月、トリノ冬季オリンピックの日本選手団は、なかなかメダルが取れませんでしたが、終盤になってようやくフィギュア女子シングルで荒川静香選手が金メダルを取りました!おっめでとうございます!
その荒川選手の演技のバックに流れた曲が、「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」でした。この曲は、トリノオリンピックの開会式で、かのパバロッティも歌った曲です。
金、とれて良かったねえ。ちょっと大きな五円玉みたいな形のメダルですが。

2006/2/24

◆ことばの話1012「生黒」

キリンビールが「黒ビールのような本格派ではなく、飲みやすい日常的な味」の濃色の発泡酒を3月5日に発売する、という記事が1月24日の日経新聞に載っていました。その発泡酒の名前は、

「生黒」 ・・・・・・。



このネーミング、どうよ。あ、使っちゃった、「どうよ」。いや、よくわかりますよ、生で、色が黒いんでしょ、その発泡酒。そのまんまやがな。ただ、「そのまま」を意図したのに、どうも「そのまま」には受け取れないところがあります。作り手側と受け取り手側で感じ方が違うのでしょうか。これが

「黒生」

なら、色が黒い生、としてすっと入ってくるのですが、順番が違うと、どう受け取り方が変わるのか?思うに、「生○○」という形には、

「生中継」「生ビール」「生搾り」「生放送」「生足」(!?)


のように、あとに来る言葉の内容が「新鮮で生きが良い」事を強調する効果があると思います。ただ、そういった効果だけではないのです。

「生暖かい」「生ぬるい」「生白い(なまっちろい)」「生意気」「生兵法」「生半可」 のように、「生」の後ろに来る言葉のないようが、「未成熟・中途半端」という場合にも使われます。特にうしろに形容詞が来た場合には、そういった意味での使われ方が多いのではないでしょうか。おそらくそれで「生黒」という名前から連想されるのは、

「中途半端に黒い」


というイメージなのです。音のイメージも「エログロ」みたいという声もありました。新聞記事に載っている写真から見ると、「生黒」の読み方は(漢字の下に書いてあるローマ字を読むと)「なまぐろ」と濁るのではなくて、「なまくろ」(NAMAKURO)と濁らないようです。「ユニクロ」と似てるな。「のらくろ」にも似てる。濁らないのであれば、多少「中途半端に黒い」というイメージは薄れますが、字面からはやはりそういった印象はぬぐえません。字面からもそういったイメージを払拭するためには、「生」と「黒」のあいだに「・」を入れて、

「生・黒」


とするか、あるいは

「生★黒」

というふうに絵文字のようなものを入れてはいかがでしょうか。でもこれだとサッポロビールみたいな感じになっちゃうか。じゃあ、

「生!黒」

とか。いずれにせよ、3月に発売されたら、1本買って、味見してみたいと思います。
要は、うまけりゃ、いいんですからね。

2003/1/24

◆ことばの話1011「ありえない」

最近、携帯電話のコマーシャルで、線路脇の柵の側に立った女の子が
「だって迷惑メールになんかに、お金払いたくないもん!」
というものがあります。そしてその後、彼女の顔がアップになった時につぶやく一言は、
「ありえない」
という言葉。意味の上では、従来ならば、
「許せない」
というべき所でしょう。数年前からこの「ありえない」は耳にしています。「許せない」という意味以外に
「信じられない」
という意味でも使われるのでしょう。
思うに、自分のキライなことに関して発する言葉で、キライな事象は、現実に目の前で起こっていても、それを認めない。現実逃避的・免罪符的な言葉ではないでしょうか。
当初は、その事象が起きたことに対する「驚きの言葉」として発していたものが、今は、相手を非難するフレーズに変わってきているように思います。まさに梅花女子大学の米川先生言うところの「自己チューな言葉」ではないでしょうかね。
若い女の子がこの「ありえない」を口にするのを、よく耳にしだしたのはここ数年ですが、実は今から20数年前の高校時代に、同級生の男子が、この言葉の大阪弁を口にしていました。
「ありえへーん!」
というもので、その言葉を発する状況は、今と同じでした。「信じられない」という意味で、自分に都合の悪い、受け入れられない状況が出現したというような時に言っていました。ちなみにそのSという男は、25年前には、「気持ち悪い」という意味の、
「キモい」
という言葉を連発していました。最近、うちの5歳の息子が保育園で覚えてきた
「キモい」
という言葉を使うたびに、妻が
「下品だからやめなさいっ!!」
と子供を叱っています。たぶん妻にとっては、「キモい」なんていう言葉自体が、
「ありえない」
のでしょう。

2003/1/19


(追伸)

1月17日日経新聞夕刊のコラム「子供再発見・保健室から77」で、養護教師グループ21の方が書いている文章。タイトルは「裸足の王様〜自己中プラスアルファ急増」です。なになに、「自己中」かと思って呼んでみると、
「自己主張が強く自分の考えを押し通そうとする子、いわゆる『自己中心的(自己中)な子』が増え、学校や集団行動の中でかなり浮いた存在になっていると指摘されたのは数年前のことだった。しかしここ一、二年で、自己中プラスアルファといった状態の子が増加しているように思う。」
どう、「プラスアルファ」かと言うと、
・気に入らないことがあると、「ママーママー」と大声で叫んで床に転がり駄々をこねる
・気に入らないことがあるとすぐにキレて、罵詈雑言を大声で繰り返し大暴れする。
・ニコニコ笑いながら友達に近づいて、突然グッと首を絞める。

というような特徴があるそうです。
コワ〜ッ!
彼らには一体何が足りないんだろうか?
愛だろッ、愛!!(永瀬正敏ふうに)
でもないか。「自己愛」はあるけど「他人への愛」がないのよね。
愛というものは自分に向けるものしか「ありえない」のでしょうか。愛の変質ですかねえ・・・。

2003/1/24


(追記)

『ビッグコミック・スピリッツ(2003年7月14日号)』(小学館)に連載中の「きまぐれコンセプト・第948話」の欄外に、横浜ベイスターズ・ファンの担当者のコメントが載っています。そのコメントとは、
「ていうか、ベイスターズの親会社であるTBSも横浜戦の中継しないでサッカー中継って、ありえなくない!?」
で、「ありえない」の「〜くない?」の形を使っています。多分、この担当者は男性だと思われますが、使ってますね、この表現。しかも自分の応援するチーム(横浜)を主体にした「横浜戦」という表現も。こちらは「平成ことば事情725・日本戦」をお読み下さい。
2003/7/31
(追記2)

小学一年生の小学校の授業参観に出ました。この日の授業内容、はあじさいの絵を描く、というものでした。先生が、
「きょうはね、お部屋をあじさいの花でいっぱいにしましょう。」

と言うと、すかさず子どもが、
「ありえへーん!」
うーん、この「ありえへん」は可か、不可か?
でも間投詞的に小学一年生が「ありえんへん」をいうぐらい、この言葉が浸透しているということの現れですね。
2004/6/2

(追記3)

それともう一つ。6月1日、長崎の小学校で、11歳の小学6年生の女の子が、同級生の女の子にカッターナイフで切りつけ死なせるという事件が起きました。亡くなった女の子のお父さんは毎日新聞の佐世保支局長(45)で、机上にも会見を開いた中でのコメントに、
「あの子がいないということは、ありえないことなんです。」
とおっしゃっていました。この「ありえない」は「あってはならない」「考えられない」そして「信じられない」ということでしょう。本当にそうだと思います。若者が使う「ありえない」と、意味は同じかもしれませんが、その言葉の重みは違うのではないでしょうか。
2004/6/2


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