◆ことばの話945「ストを打たせるな」
年末闘争(ボーナス闘争)の季節です。わが、アナウンス部にも組合の赤いのぼりが部屋の中に立っています。(立てかけてあります。)その、のぼりの文字は、
「ストを打たせるな!」
これを見て、ふと思い浮かんだ疑問は、
「ストはなぜ『打つ』と言うのだろうか?」
ということでした。
最近購入した「明鏡国語辞典」(大修館書店)で「打つ」を引いてみました。
すると、いろんな意味が載っていました。全部書くスペースも時間もないので省略しますが、お目当ての項がありました。
(9)ある計画などを実行する。ぶつ。また、ある手段・方策を講じる。「境内で芝居を打つ」「逃げを打つ」「不況打開に打つ手はないのか」「先手を打って攻撃をしかける」「契約成立時に手金(てきん)を打つ」
この(9)の用法の仲間に「ストを打つ」は入ることでしょう。スト(ストライキ)というものは事前に予定して行なうものですから、やはりこの範疇に入るのでしょうね。
ところで、こののぼりの文章は「ストを打つぞ」ではなく「ストを打たせるな」です。つまり「本当は打ちたくないのに、しょうがなく打つのだ。ちゃんと納得できる回答を出さない会社側のせいでストを打つはめになってしまうのだ。ストを打つような悪い事をやってしまうのは、私たちの意志(本意)ではなく、しょうがなしにやらされているのだ。」
ということを、この短いセンテンスの中ににじませた文章と言えそうです。
結構手の込んだ回りくどい表現ですねえ。日本語って本当に難しい。
2002/12/2
◆ことばの話944「カタカナ語と外来語」
(ああ、放っておいたら、古新聞になってしまったものに載っている記事になってしまった・・・)
10月4日の朝日新聞の「かいしゃ六話」というコラムで「市民権を得たカタカナ語」と題して論説委員の荻野博司という方が、
「昨今の会社論では何かとカタカナ語が飛び交う。ここ数年で市民権を得たのは『コーポレートガバナンス』だろう。」
と書かれています。これを読んで
「はあ〜??」
と思われた方も多いのではないでしょうか。
「コーポレートガバナンス」なんて言葉、一体どこの「市民権」を得られたのでしょうか?かなり狭い範囲の「市民権」だと思いますが。その後、荻野さんは続けて、
「企業統治という訳語があるが、どうもしっくりこない。」
と書いています。におう。臭うぞ。独善的な臭い。感覚は人それぞれですが、「企業統治」、いいんじゃないですか?しっくり来ないのは使おうといないからではないでしょうか。また、その概念も定着していないから。つまり「コーポレートガバナンス」と呼ばれるものも「企業統治」と呼ばれるものも、日本の風土に根づいていないからに他なりません。
ネット上でどのくらい使われているか、いつものようにGoogleで検索!
「コポレートガバナンス」・・・8570件
「企業統治」・・・・・・・・・6360件
横文字(コーポレートガバナンス)がややリードですが、インターネットという媒体ですから、当然かもしれません。でも「企業統治」だって6360件もありますよ。
今、読売新聞の夕刊で連載中の「新・日本語の現場」というコラムでは継続して「カタカナ語」を取り上げています。「外来語」ではなく「カタカナ語」。11月6日には、こういった言葉を載せた辞典も、以前は「外来語辞典」と名乗っていたのに、2000年以降はすべて「カタカナ語辞典」になっているということが書かれていました。というのも最近は、外国語から入ったものではなく、由来がよく分らないカタカナ語が増えているということに起因するようです。
明治期の日本人は、洪水のごとく流れ込んでくる外国語に、漢語でもって言葉をあてました。現代は、特にコンピューターやインターネット関連用語が、それの比ではないくらい膨大な量の外国語(英語)として流れ込んできて、中には日本語の構造に影響を与えるかもしれないと言われるものまであるようです。
そもそも、その「概念」「実態」がないものが輸入された時に、あてる言葉をどう作るか、どう理解しやすくするかという努力は必要だと思います。
カタカナ語をそのまま受け入れる前に、なんとか日本語に置きかえられないか考えることも必要ではないでしょうか。ときあたかも、国立国語研究所がカタカナ語に対する調査を開始したとか。21世紀はカタカナ語との戦いになるかもしれませんね。
2002/12/5
◆ことばの話943「『は』と『が』」
京都の紅葉を取材したテープを編集していたディレクターのYさんが、悩んでいるようでした。
何だろうと思って声をかけると、
「この場合、『は』ですかね?それとも『が』がいいんですかね?」
と聞いてくるではありませんか。その原稿は、
「水面(は・が)紅葉で彩られます」
という文章でした。
おお、これはあの有名な
「象は鼻が長い」
ではないか。いやいや、三上章さんという先生が1960年(昭和35年)に書かれた「象は鼻が長い」という有名な本があるのです。日本語学や国語学の世界では非常に古くから「"は"か?"が"か?」の問題は取り上げられてきたそうです。
「象は鼻が長い」に代表される「二重主語の構文」の解析をこの三上先生は行なったのです。「象は鼻が長い」と「象の鼻が長い」はぞう違うのか、いやどう違うのか?
新情報には「が」旧情報には「は」
現象文には「が」、判断分には「は」
が使われると、苅田修司さんという方のホームページに書いてありました。
まあ、分ったような、分らないような。それはさておき、私はまるで試験勉強のヤマが当たった受験生のような気分になって説明しました。
「『は』は初めて出てくる主語に関して使います。例えば『私はミチウラです。』と自己紹介しますね。『ミチウラ』というのが始めて出てくるからです。それに対して、既に出てきている主語に関してのみ『が』は使えます。つまり『それではミチウラさんにご登場願いましょう』と紹介された後だと『私がミチウラです』と言えるわけ。但し、今回のケースは、初めて出て来るような感じで使うなら、『は』を使ってもいいし、説明文とするならば『が』を使えばいいんじゃないかな。」
そう説明すると、Yディレクターは納得してくれて、結局、
「水面は紅葉で彩られます」
と「は」にしたそうです。
それにしても「は」と「が」の使い分けで悩むなんて、結構レベルが高いですな、うちの「ニューススクランブル」のスタッフも。その日は少し嬉しく感じたことでした。
2002/12/1
◆ことばの話942「正しい日本語とは」
11月22日(金)の産経新聞朝刊、「仕事師列伝・平成編95」は、「映画の感動を伝えて(5)」、登場しているのは、字幕翻訳家の戸田奈津子さんでした。その記事の見出しが、
「正しい日本語で夢紡ぐ」
戸田さんと言えば、ご存知、映画の字幕の第一人者ですよね。その戸田さんが、記事の中でこう言っているのです。
「私は観客にこびた言葉は使いたくない。正しい日本語で、できるかぎり原作に近いものを伝えたい。」
これを受けて記者(広島支局の滝川麻衣子記者)は、
「卓越した言語感覚から『日本語力の字幕翻訳家』と表される戸田ならではの言葉といえるかもしれない。」
と書いているのですが、私がその場にいる記者なら、もう一歩突っ込んだ質問をしたかった。すなわち、
「戸田さんの考える『正しい日本語』とは、一体どういうものなんですか?」
と。おそらく、この滝川記者や読者が考えている「正しい日本語」と、戸田さんの考える「正しい日本語」には相当な開きがあるのではないかと思うのです。
このシリーズ、1回目から読み直してみると、第4回でUIP映画製作の岩川勝至室長は戸田さんについて、こう話しています。。
「よい字幕翻訳家というのは、いかに日本語の引き出しがあるかということ。その点、戸田さんは現代の言葉の変化もどんどん取り入れ、生き生きとしてわかりやすい。」
つまり、戸田さんの言う「正しい日本語」には「現代の言葉の変化」も含まれると考えてよさそうです。
もちろん、観客にこびると言うか阿(おもね)るようなことはしないのでしょうが、今の言葉を取り入れるのは、「言葉は変化していくものだ」という大前提を考えれば、当然のことだと言えるでしょう。
2002/12/2
◆ことばの話941「鉛筆工場」
11月27日、イラクに対する核査察が始まりました。そのニュースを伝えた記事が翌28日の新聞各紙に一斉に載りました。しかし写真はどれもAP通信のものでした。カメラマンはもしかしたら1社に制限されていたのでしょうか。その写真は、核査察に入った工場の様子なのですが、写真に付けられたキャプション(説明文)が、各新聞で微妙に違っていたのです。
(読売)13版=グラファイト製品製造工場
14版=カーボン製品製造工場
(朝日)・・・・黒鉛棒製造工場
(毎日)・・・・カーボン工場
(産経)・・・・黒鉛棒工場
(日経)・・・・黒鉛棒工場
ということで、朝日、産経、日経の3社が「黒鉛棒」、毎日と読売の14版が「カーボン」、読売の13版が「グラファイト」と、製造しているものの表現は3種類に分かれたのです。これはすべて同じ物をさしているのでしょうか?もちろん調査している場所(写真に写っている場所)は同じ所です。そもそもカーボンとグラファイトはどう違うのでしょうか?
英和辞典を引くと
「graphite」=「石墨、黒鉛」
「carbon」=「炭素(棒)、カーボン紙」
和英辞典で「黒鉛」を引くと、
「black lead、graphite」
と出ています。それで、毎日新聞の2面を見ると、こんな見出しが。
「疑惑の『鉛筆工場』調査」
なに?鉛筆工場?よく本文を読むと、
「査察団の車列は・・・(中略)政府直営の『サダムカーボン工場』に到着した。鉛筆のしんなどを製造しているとされるが、科学・生物兵器などの製造が疑われ、98年以前の査察でも何度か査察対象となった場所だ。」
とありました。うーん、怪しいな。つまり「鉛筆の芯」を何というか、だけれど、それは「仮面」で、ホントウは核兵器関係のなんか炭素の関係するものが作られているかもしれないということですか。それとも生物兵器?
しかし、英和・和英辞典によると、黒鉛と炭素は微妙にニュアンスが違うみたいだし。
英語に詳しい人に聞かないとだめかな、これは。ということで、英語に詳しい脇浜アナウンサーに助けを請いました。その結果、
「カーボンは炭素だから、原料のような感じ、グラファイトは黒鉛で鉛筆の芯、つまり製品」
といったニュアンスの違いが分りました。
では、実際英語ではどう表現されていたのか?CNNのニュースサイトを覗いてみました。すると、やはりAP通信の写真が載っていました。やはり取材陣は制限されて共同取材になっているようです。その英語のキャプションは、
An Iraqi soldier watches U.N. vehicles as they make their way into a graphite
rod factory in Ameriyah.
おお、「グラファイト ロッド ファクトリー」と書いてあるぞ。rodは「杖、棒」というような意味のようです。つまり直訳するとやはり「黒鉛棒」。英語では「グラファイト」なんだ。なぜ毎日や読売14版では「カーボン」になったんでしょうね。
2002/12/3
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