◆ことばの話895「アメリカンドッグとフレンチドッグ」
NHK放送文化研究所の塩田雄大さんが、先日、出張で大阪に来られたそうです。その際にこんな疑問を持ったのだそうです。
「大阪で、アメリカンドックのことをフレンチドックと言って売っているのを見ましたが、大阪だけですか?」
どうだろう?両方言うよね?と思ってSアナウンサーに聞くと、
「両方言いますよね。別に大阪だけフレンチドックと言うわけじゃあないんじゃあないんですか。大体ああいう食べ物は夜店なんかで売ってますから、お祭りを追って全国をを回るテキ屋さんが売ってるから、どこそこ特有、というものではないのでは?」
とのこと。
そもそも「アメリカンドッグ」「フレンチドッグ」とは何ぞや。『広辞苑』にも『日本国語大辞典』にも、どちらも載っていません。そこで、私の定義。
「棒に刺したソーセージの周りに、ドーナッツのような小麦粉生地のものを塗って油で揚げた、ガマの穂のような食べ物。夜店などの屋台でよく売っている。」
というものですよね。
インターネット検索Googleで、アメリカとフランスに加えて、ホットドックも調べてみました。結果は、
フレンチドック・・・・208件
フレンチドッグ・・・・237件
アメリカンドック・・・・2100件
アメリカンドッグ・・・・2590件
ホットドック・・・・1万5600件
ホットドッグ・・・・2万8100件
ドックかドッグか、これも両方ありますよね。どちらかというと濁る方が多いようですが、
アメリカとフランスの戦いは「1対10でアメリカの勝ち」のようですが。
インターネットの中身を見てみると、
「魚肉ソーセージを使っているのがフレンチドッグ、普通のソーセージを使っているのがアメリカンドッグ」
というふうに区別されている、と書いている人も多かったようです。
NHKの塩田さんも、その後いろいろネットで調べて、「フレンチドッグ」をネット上で使っている人が住んでいる地域を書き出して、メールで送ってくれました。それによると、「フレンチドッグ」を使っているのは、
北海道、福島、埼玉、岐阜、三重、福井、大阪
また、山形では「アメリカンドッグ」とも「フレンチドッグ」とも言わずに「ホットドッグ」と言うそうで、「パンにソーセージを挟んだもの」との区別はないようです。
また、塩田さんをはじめとして、東京近郊で育った人には「フレンチドッグ」をまったく耳にしたことがない人が多いそうです。そこで塩田さんは、
「東京近郊担当のテキ屋は、フレンチドッグという言葉を使わず、それ以外の全国を回るテキ屋がフレンチドッグという言い方をしているのではないか?」
と考えたそうです。
真相や、いかに??
とりあえず、アメリカンに「アメリカンドッグ」や「フレンチドッグ」゙があるのか?ということをアメリカ留学経験のある脇浜アナウンサーに聞いたところ、
「聞いたたことないですねー。」
ということ。彼女が留学していたロサンゼルスにはなかったようなのです。
・・・・と思っていると、当の塩田さんから「調べたらこんな事が・・・」というメールが届きました。
それによると、アメリカでは、「アメリカンドッグ」や「フレンチドッグ」ではなく、
「コーンドッグ」
という名前で売られているそうです。Googleで検索すると、「コーンドッグ」は74件出てきました。写真も載っていたので見ましたが、「コーンドッグ」は「アメリカンドッグ」「フレンチドッグ」と形状は同じ物でした。
「アメリカにアメリカンドッグがない」というのは、なんかおかしい様なきもしますが、よく考えたら、「関東炊(かんとだき)」も「関東にはない」ですし(関東では同じ物を、ご存知のように「おでん」と呼ぶ。「関東炊」は関西での呼び名。)、フランスではパンのことを「フランスパン」とは呼ばないでしょうから、それほど不思議なことではないのかもしれません。つまり、
「ある地域の特徴ある食べ物に、他の地域の人たちがその地域の名前を冠して呼ぶ」
というケースは、きっとごく当たり前の命名法なのでしょうね。
アメリカンドッグ、フレンチドッグに関する情報、お待ちしています!
2002/10/12
(追記)
いつものようにコーラスの練習に向かう途中、大阪の堺筋本町のスターバックスコーヒーに入ったところ、なんとそこで見つけてしまいました、「フレンチドッグ」!!それは、あの「アメリカンドッグ」と形状は違って、要するにホットドッグのパンが「フランスパン」になっていて、はさまれたソーセージの上にトローリとチーズがかかっているという代物。フランスパンを使ったホットドッグなので「フレンチドッグ」なのでしょう。さあ、こまった。フレンチドッグが2種類出てきてしまった!どちらのフレンチドッグが勝利を収めるのでしょうかね。
2003/10/30
(追記2)
夏休みに台湾に行ってきました。台北の士林という、毎日「夜市」が開かれているところへ行ったところ、アメリカンドッグを売っていました。漢字で、
「美国超大熱狗」
と書かれていました。「美国」は「アメリカ」ですから、台湾の台北では、「フレンチドッグ」ではなく「アメリカンドッグ」なのでしょう。「熱狗」で「ドック」なんですかねえ??値段は1本35元。およそ120円で、味は日本のものとあまり変わりませんでした。
ちなみに「ポップコーン」は、
「美国爆米花」
でした。20元。
2004/9/6
(追記3)
8月に大阪ビジネスパーク界隈で開かれるイベント「わくわく宝島」に、アナウンス部からも店を出してはどうか?という案が出て、その下調べをしていた小林アナが、大阪市の
「露天営業の皆さんへ」
というチラシを持ってきました。それによると、冷たいものとかを作って売るのはダメで、加熱されていないとダメなんだそうです。なるほど。
そして相談窓口は大阪市港区保健福祉センター生活環境係になっています。また、
「露天の取り扱い品目と業種」
というところの「露天飲食営業」の種類に、なんと、
「フレンチドック」
があるではないですか!アメリカンドッグもドックもないのに!
やはり大阪はお役所も「フレンチドック」だから、露天でも「フレンチ」なんでしょうかねえ。
2007/6/26
(追記4)
2008年11月5日の産経新聞「パリの屋根の下で」というコラムで、山口昌子さんという方が「『フレンチラバー』の評判」というタイトルでコラムを書いています。その中に、
「フレンチドッグ」
が出てきたので読んでみると、
「フランス人は世界的に評判の高い『フレンチ』として、『フレンチドクター』や『フレンチドッグ』を挙げる。全社は紛争地帯などで献身的な医療活動を展開している『国境なき医師団』や『世界の医師』。校舎は地震や災害地のがれきの中から生存者の救出活動に当たる特別訓練犬だ。」
なんだ、本物のフランスの「犬」か。
ついでに読んでみると、評判の善しあしが分かれる「フレンチ××」として「フレンチキス」「フレンチラバー」(恋多きフランス人男性)があり、その「フレンチラバー」の悪評を最近高めたのが、IMF(国際通貨基金)のドミニク・ストラスカーン専務理事だと記しています。彼は頭文字をとって、フランス国内では「DSK」と呼ばれているそうです。そのDSK、この夏退職したIMFのアフリカ担当責任者のハンガリー人女性が“愛人”だそうで、彼女の退職に際して、職権を利用して退職金に配慮を加えたのではないかという疑惑が取りざたされていたとか。結局DSKは浮気の謝罪をし、DSK夫人が自らのブログで夫への支持を表明するなどし、調査の結果疑惑は晴れたそうです。
アメリカ大統領選挙の陰で、フランスではこんなニュースが流れていたんですねえ。
2009/1/19
◆ことばの話894「古里と故郷」
10月17日、北朝鮮から来日していた拉致被害者5人が、東京からそれぞれの
「ふるさと」
へと向かいました。それを伝えた各新聞の見出し、「ふるさと」を表す漢字は、
「古里」
でした。中には「故郷」を見出しにしているところもありましたが、これは「ふるさと」ではなく「こきょう」と読むのでしょう。
というのも「故郷」には「ふるさと」という読みは、あります。ありますが、常用漢字表で定められている「読み」には「故郷(ふるさと)」はないのです。「こきょう」しかありません。それで仕方なく、新聞は常用漢字表にある「ふるさと」という読みになる漢字「古里」を使わざるを得ないのです。(このほか「故里」という表記もあるそうです。)
でもなんとなく「古里」ってしっくりこない感じがしませんか?
テレビやラジオと違って、新聞は音声化する必要がないため、目から飛び込む文字の占める役割が当然大きくなります。そこから考えると、「ふるさと」という表内の読みを持つ「古里」を使わずに、「故郷」を使った方が、読者にとってはしっくり来たのではないでしょうか?「故郷」と書いておけば、常用漢字表に読みがあろうがなかろうが、大半の読者は勝手に
「ふるさと」
と目で読んでいたのではないでしょうか?
こういうのは、ルール違反ですかね?
2002/10/30
(追記)
「故里」という表記もあるそうです、と書いたらさっそく見つかりました。今日(10月31日)の日経新聞朝刊で、人類学者の河合政雄さんが書いてらっしゃる「私の履歴書」で、
「一切の義務感・使命感から解放され、故里で少年動物誌の世界に憩おう。」
「第二の故里犬山にさらばをするのなら、第三の故里アフリカにも分かれを告げねばと、・・・」
「結局は故里へ戻り・・・」
と計4か所、また写真のキャプションにも、
「故里篠山の隠居で妻と」
とありました。河合さんは、文化庁長官で心理学者の河合隼雄さんのご兄弟ですかね。お顔がそっくりです。(〜インターネットで調べる〜)・・・やっぱりそうでした。雅雄さんが1924年生まれのお兄さん、隼雄さんが4つ下の1928年生まれの弟さんでした。
2002/10/31
◆ことばの話893「需要は高い?」
1996年以降、国内での製造と輸入が禁止されている「フロン12」を密輸入していたとして、埼玉県の業者が逮捕されたというニュースを読みました。その中でこの「フロン12」が、いまだに国内2000万台の自動車のエアコンで使用されていて、在庫に限っては販売も許可されているという現状をさして、
「まだまだ需要が高い」
という文章が出てきました。ハタと立ち止まったのは、
「需要は“高い・低い”のか?“大きい・小さい”なのか?“多い・少ない”なのか?」
ということです。これによく似た例としては、
「可能性」
があります。この「可能性」も「大きい」「高い」「強い」のどれが適当なのか?とよく問題になります。
まずは「需要」について考えましょう。「需要」の反対語は「供給」。
「供給」が「高い・大きい・多い」。
この中だったら、「多い」を選ぶのではないでしょうか。
そうすると「需要」も「多い」かな。でも「需要が高まっている」という表現はOKだな。また「大きな需要がある」もいけそうだな。「希望」も「大きい・小さい」ですね。
ここまで考えてハタと気付きました。(よく「ハタ」となるな。)
「高い」と「大きい」は「数字」に関係する言葉です。つまり、「確率」が「高い」ということは、確率を表す数字が「大きい」ということです。
それに対して、「多い・少ない」は、「量」を表す言葉です。「量」も、もちろん数字に置き換えることは出来ますから、そこで、直接数字に関係する「高い」「大きい」と結びついて使われることがあるということではないでしょうか?
そう考えると、「可能性」についても本来は数字に直接は置き換えられない「強い・弱い」であって、それが数字にむすびつくことによって 「大きい」「高い」という言い方も認められるようになっていったのではないのか?という考えが浮かびました。
いつものようにGoogleで検索。
需要が「高い」= 3970件 需要が「低い」= 436件
需要が「多い」= 4950件 需要が「少ない」= 3260件
需要が「大きい」=1530件 需要が「小さい」= 124件
これで見ると、「需要」は総合的には「多い・少ない」が、頭一つ抜け出ていますね。ネット上の頻度では。次が「高い・低い」、一番使われてないのが「大きい・小さい」です。
「可能性」についても見てみました。
可能性が「高い」=25万9000件 可能性が「低い」=7720件
可能性が「強い」= 1万4800件 可能性が「弱い」= 7件
可能性が「大きい」=3万0900件 可能性が「小さい」=414件
こちらは「高い・低い」、次いで「大きい・小さい」、「強い・弱い」。
「可能性」はパーセンテージ、つまり数字と結びついて語られることが多いので、「高い」「大きい」が来るのでしょう。それに対して「需要」は「可能性」ほどは数字と結びついていない、と見ることも出来るのではないでしょうか。
この説が認められる可能性は・・・・高い?低い?
2002/10/30
◆ことばの話892「エンギる」
土曜の深夜。いつものように明石家さんまさんの「恋のから騒ぎ」を見ていました。若者言葉、ギャル語の宝庫でもあるんです、この番組は。
その日は出演者の素人の女の子(19歳)が、いつも携帯電話代(月5、6万円!)を払ってくれていた男(=彼氏=ボーイフレンド=恋人)から別れ話を切り出されたという話をしていました。その話の中で彼女はこんな言葉を口にしました。
「ここはひとつエンギって、『別れたくない!!』って言ってェ」
ナヌ(お、これは古いゾ。)?「エンギって」て何?
「縁を切る」ことを「エンギる」と若者は言うのか?と思って続きを聞いていると、違いました。「エンギる」とは「漢字かな交じり」で書くと、
「演技る」
だったのです。つまり、本当は今すぐにでも別れてもいい男だったけど、今月分の携帯電話代だけは払ってもらってから別れようと思った彼女は、「別れたくない!」と「エンギ」したと言うのです。
つまり、「演技」って、「縁切」ったというわけ。掛詞としたら、ようでけとる。
しかし、「エンギ」に「る」を付けて動詞にしてしまった言葉の方は許すとしても、その魂胆は・・・・この話を聞いて、「女ってコワイ」と思わない男性はいるのでしょうか。
ホラ、あなたの彼女や奥さんも「エンギって」るのかもしれませんゾ・・・・・。
え?うちも・・ですか?
2002/10/30
◆ことばの話891「癒やすと癒える」
ここ数年のはやり言葉でありブームなのが「いやし」ですね。漢字で書くと、
「癒し」
です。決して「卑し」「賤し」ではありませんが、言葉の響きから、そういったイメージを浮かべてこの「癒し」という言葉を嫌ってらっしゃる知識人の方もいらっしゃるようです。さて、この「癒し」、常用漢字の送り仮名から言うと、「癒し」ではなく、
「癒やし」
なのです。なぜか?というと、この「癒」という感じを使った言葉に、
「癒える」
があります。この場合、当然「癒」は「い」と読みます。「癒す」だと「いや」と読まなくてはいけません。そこで整合性から考えても「癒」は「い」と読んで
「癒やす」
「癒える」
と書くのだと言うのですが、流行語として定着してしまった表記は、
「癒し」
ですよね。さあ困った。新聞は、結構、この二つが混在している様です。
ほかの漢字の送りがなで言うと、「行った」と書いて「いった」と読むのか「おこなった」と読むのか、今の送り仮名では分らなくなっているので、私は「おこなった」は「行なった」と書く方が好きなのですがね。わかりやすいから。
それはさて置き、いつものようにGoogleで、インターネット上ではの二つの表記はどちらがどのくらい使われているのか調べましょう!
「癒し」= 36万0000件
「癒やし」= 6070件
圧倒的に「癒し」の勝利ですなあ。ついでに「いやす」も。
「癒す」=17万0000件
「癒やす」= 2240件
こちらも同じ結果が。
なぜ「癒す」が多いのか?もちろん、流行語として出てきたのがその形だったということはあると思いますが、もう一つは、「癒やす」と「対(つい)」で考えられるところの「癒える」、こちらは自動詞ですが、この「癒える」が使われる場面が「いやす」に比べて極端に少ないからではないでしょうか?流行の「癒し」「癒す」を考えている人たちは「癒える」ということを考えていない。つまり自然の治癒力や、時間を掛けて癒やすことをあまり考えていない。それは普段「癒える」ことを経験していないからではないでしょうか。
少し疲れたり、心の傷を負った時に、「癒える」のを待つのではなく、外から何かの力によって「癒やす」。「癒える」のを待つ時間が現代人にはないのではないか。だから「癒やす」方に走る。送り仮名「や」も、一つ省略する。
また、自動詞の「癒える」ではなく、他動詞の「癒す」を「自分に対して使う」ということは、「自分を客観視していることの表われ」とも言えるのではないでしょうか?
「いえる」を使う人は、上に書いたような省略は嫌がるからでしょうか、Googleで検索すると、
「癒える」=1万3300件
「癒る」= 420件
と「いえる」は圧倒的に「える」と二つ送り仮名を付ける例の方が多いようです。
こうしてみると、
「癒(いや)す」と「癒(い)える」
という二つの表記が主流のようですね。
「いやす」によく似た発音の言葉に、「冷やす」があります。これも「ひやし」「ひえる」など、「いやす」と同じパターンがありますが、この「冷やす」で考えると、その状況がよく分かるのではないでしょうか。
つまり熱を持ったものが「ひえる」のを待つのではなく「ひやす」。外から何かの力を加えるのですね。
ゆっくりじっくり、こんな事を考えていると、私、だんだん「癒えて」きました。
2002/10/30
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