◆ことばの話880「フロシキ残業」
会社の労働組合のビラに、
「フロシキ残業」
という言葉が出ていました。どういう意味かわかる?と聞くと、入社3年目のMアナウンサーは、きっぱりと、
「わかりません」
ちょっとは考えてみろよ。
「フロシキ・・・何か隠すんですか?」
・・・隠すのかなあ・・・。入社4年目のYアナウンサーは、
「なんですか?それー???」
とまったく何のことだか思いつかない様子。入社7年目のNアナウンサーは、
「ぼくが思うに、フロシキを広げて、そこに入るくらいの残業時間ならOKですよ、という残業の上限の目安じゃないですかね?」
まあ、分らないのも無理はないですね。入社19年目私でも、この言葉を父親から聞いたことはあっても、実際に使ったことはありませんから。というより、風呂敷自体、ほとんど使っていませんからね。意味は、
「会社でやり残した仕事の書類などをフロシキに包んで家にもって帰ってやること」
『広辞苑』や『日本国語大辞典』を引いても載っていません。労働組合専用の用語ですかね、やっぱり。もう死語でしょう。
インターネットのGoogle検索では、
風呂敷残業・・・220件
風呂敷き残業・・・11件
フロシキ残業・・・23件
まあ、あまり使われていないようではあります。ただ、その中の文章を読んでいると、
「昔あった"フロシキ残業"に変わって、少し前は"フロッピー残業"、最近は"Eメール残業"や"インターネット残業"のような"モバイル残業"が増えているのではないか」
というような内容のものもありました。
労働形態が変わって使う道具が変わっても、いわゆる「サービス残業」のようなものは今も昔もあるのだなと思うと同時に、「裁量労働」という形で、私たち労働者が持つ「時間」を売ってその対価を受け取るのではなく、成果のみが求められるようになれば、仕事をフロシキに包んで持って帰っても、サービス残業ではないフロシキ残業というものも出てくるけれども、それは何がどういうふうに、誰にとって利益があるのか。よく考えてみる必要はあるでしょう。
ちょっと難しいお話になってしまいました。
2002/10/10
◆ことばの話879「黒ブタとうずら」
入社2年目のSアナウンサーは、朝の番組でグルメコーナーを担当しています。先日の放送でその取材VTRを見て、彼の「おとぼけけぶり」に、びっくりしました。忘れないうちに、彼の「迷言」を集めておきましょう。
*「え?黒豚の肉って、黒くないんですか?」
皮だけです、黒いのは。肉は黒くありません。
*「"うずら"って鳥がいるんですか。タマゴだけかと・・・。」
タマゴが先か、うずらが先か・・・。
*(お好み焼き屋さんで、"タマゴたっぷりのふわふわの特製お好み焼き"を目の前で作ってもらっていて、それを作る途中にそのお好み焼きについてさんざん話した後に)
「で、お好み焼きはどこに?」
*「ジドリって何ですか?ニワトリのことじゃあ、ないですよね?」
さらに他の先輩を捕まえて、
*「ねえねえ○○さん、ジドリってニワトリなんですよ。知ってました?」
知ってるに決まってるっちゅうに。知らんのはおまえだけや。
*「え?トリニクって、ニワトリの肉だったんですかぁ・・・。」
・・・・鳥全般、全てを指して「トリニク」と言うと思っていたそうです。
*懐石料理をいただいて一言、「なまぬるいですね。」
・・・スタッフは「なまぬるい」どころか「凍りついた」そうです。
また、ジャガイモを裏ごしした雪のように白いトロリとしたソースがかかった創作料理を口にして、
*「これって・・・ジャガバタの味がしますね。」
それに対して店のご主人が、
「しません!そんなはずはありません。」
そうですよね、高級なお店ですからね。高級フランス料理風懐石料理を「ジャガバタ」と一緒にされたら、たまりません。
こんな彼も彼なりに味を表現しようと、努力はしているんです。でも・・・
*(料理を口に入れて)「うーん、一年が一遍に来たような感じですね。」
という失敗をしてしまう始末・・・。
それは「一年が」ではなく「盆と正月が」でしょ。
そんな彼、入社1年目の去年も、その"片鱗"を見せたことがあったそうです。
阪神タイガースのキャンプ取材で初めて高知の安芸に行った時に、海を見て一言。
「日本海って、きれいですねえ。」
長嶋さん級でしょ?
そう言えばうちのアナウンス部の彼の先輩に、10年くらい前にこんな事を言っていた人がいたっけ。
「おいU、今度、佐渡島に取材だぞ。佐渡はどこにあるか知ってるよな。」
「もちろん!地中海でしょ。」
「え。」
「うそうそ、瀬戸内海」
「・・・・」
「じゃあ、佐渡でとれるもので有名なものは?」
「・・・・銀?」
「じゃあ、佐渡で有名な民謡と言えば?」
「・・・・・・・・・・佐渡民謡・・・・」
朝の早い番組だったので頭がボッーとしていたためでしょうか。忘れようとしても忘れられない会話でした。放送中じゃなくてよかった。でも、彼女も今では立派に頑張っています。
閑話休題。
彼が取材でお邪魔したお店のご主人はみんな良い人ばかりで、こんな発言を笑ってやさしく許してくれています。すみません、本当に、こんな後輩で・・・・。でも中にはやっぱり、内心、怒っている方もいるようで。
あるお店の料理があまりにもおいしかったので、S君がプライベートで食べに行こうと思って予約の電話を入れたところ、
「その日は満席です。」
と、すげなく断られたそうです。ご主人は、あんなにVTRの中ではニコニコしてはったのに、内心は煮えくり返っていたのでしょうね・・・・。普通は、取材で行ったお店にあとでプライベートで行くと、歓待してくれるものですが。よっぽど腹に据えかねていたのでしょうなあ。
まあ、しゃーないか、なあ、清水!
彼の成長に期待したいと思いますので、皆さんどうか温かい目で見守ってやってください!
(注)その番組というのは、関西ローカルでやっている「あさリラ!」の木曜日放送の「グル名探偵」というコーナーです。関西の方、必見です!
2002/10/5
◆ことばの話878「アベックとカップル」
北朝鮮に拉致された人の中には、男女2人組で拉致された人たちもいます。特に昭和53年(1978年)には、男女2人組みでの拉致が頻発。そのことに触れた9月25日の産経新聞の記事の見出しが、
「北朝鮮拉致、アベック集中標的」
でした。この「アベック」という言葉、現在ではほとんど「死語」ですが、24年前の昭和53年にはまだ十分生きていたようです。
現在、わずかに生き残っている「アベック」は、新聞のスポーツ欄などでの、
「MK砲、アベック弾」
「アベックホームラン」
のようなものと、ごくたまにテレビのニュースでも出てくる「警察発表をそのままのニュース」といったものに限られるのではないでしょうか。
男女2人組を指す今、主流の言葉は、
「カップル」
ですね。同じく9月25日の日経新聞に載っていた「紳士服の価格が2種類に限定されてきた」という記事の見出しは、
「ツープライス店、カップルに照準」
というもので、
「来店が増えているカップル客などの需要に対応した。」
と本文の中にもあります。
少し前までは、
「ツーショット」
という言葉も、はやりで使われましたが、今男女2人組の意味で「ツーショット」を使う人は、「オヤジ」だけです。
10月1日に出た梅花女子大学の米川明彦教授の近著、『明治・大正・昭和の新語・流行語辞典』(三省堂)によると、「ツーショット」は1988年(昭和63年)の流行語だそうで、『現代用語の基礎知識1990年版』の若者用語欄に、『テレビ番組の「ねるとん紅鯨団」で使われたのが始まり』と書かれていたそうです。
インターネットでそれぞれ検索してみましょう。
アベック・・・・・・・3万1900件
カップル・・・・・・56万7000件
ツーショット・・・・10万9000件
それぞれと「男女」を一緒に検索したところ、
アベック・男女・・・・・・5720件
カップル・男女・・・・・・・159件
ツーショット・男女・・・・・7600件
という結果が出ました。
「アベック」という言葉は、意外と使われていましたね。用例としては、
「アベックV」「アベック優勝」「アベック金」「アベック出場」
「アベックゴール」
といったところです。「アベックゴール」は、セレッソ大阪の森島・西沢のコンビでした。
2002/10/12
◆ことばの話877「三枚におろす」
10月6日、NHKの衛星第2テレビを見ていると、「一魚一会」という番組で「コチ」という盛んを取り上げていました。漢字で書くと、
「鯒」
こういう字とは知りませんでした。「鯒」は、"ちょっと見"はオオサンショウウオのようにも見えました。その「鯒」を番組の中でおろしていました(コチおろしていた)が、ナレーションで、
「コチを三枚におろします」
と言っていました。この「三枚」のアクセントが、
「サンマイ(HLLL)」(Hは高く、Lは低く発音する)
と「頭高アクセント」だったのです。どこがおかしいかって?いや、私も全然おかしくないと思っていました、2,3年前にTBSのKさんに教えられるまで。
ところが『NHKアクセント辞典』『新明解アクセント辞典』を見ると、この魚を「三枚におろす」という場合の「三枚」のアクセントは、
「サンマイ(LHHH)」
という「平板アクセント」しか、載っていないのです。「三昧」「散米」「産米」の「サンマイ」と同じアクセントです。
一枚、二枚、と数える場合の「三枚」は、頭高アクセントの「サンマイ(HLLL)」で良いのですが。
意味の上からは、「三枚におろす」は、
「生ざかなの頭を切り落とし、背骨を中心に両側の身を切りさいて三つにすること。」
ですから、本来、数を数える「三枚(HLLL)」と同じでも、なんら不思議はないはずです。それが「平板アクセント」だということは、東京外国語大学の井上史雄教授のいうところの「専門家アクセント」なのかもしれません。「専門家アクセント」というのは、その用語をよく使う「専門家」のアクセントは、「平板アクセント」になる傾向があるというものです。
テレビのグルメ番組などの普及で、料理が専門家だけのものではなくなったことで、もしかしたら 「三枚(LHHH)」という平板アクセントは消えていく運命なのかもしれませんね。え?もう消えてます?そうですか。
2002/10/12
◆ことばの話876「出身地」
「あなたの出身地は?」
と聞かれた時に、あなたはどう答えますか?生まれてから現在までずーっと同じところに住んでいて本籍地も同じ、という人は問題なく現住所を答えればいいのでしょうが、本籍地と生まれた場所が違って、その上、幼い頃から何回も引越しをしている人など、何を基準に、どこを「出身地」としているのでしょうか?
私は、大学で東京に行った時は、
出身地=出身高校の所在地
だったように思います。かくいう私も生まれは三重県の上野市ですが、これまでに、大阪市、茨木市、名古屋市、愛知県岩倉市(当時は岩倉町)、堺市、枚方市、東京都杉並区などに住んだことがあります。本籍地は以前は三重県でしたが、今は現住所に変更しています。道浦家のお墓は、三重県名張市にあります。さあ、出身地はどこ?
こういう時に国語辞典なんかで「出身地」を引くと、
「その人の出身である町や村」
なーんて、「どうせいちゅうねん!」という解説が載っているのではあるまいか。一応、引いてみましょう。
『新明解国語辞典』
「出身」=その土地で生まれていたり、その地域に本籍(実家)が有ったり存在していたりすること。
うーん、やっぱり「どれ」と、一つに絞っていないな。
『新潮現代国語辞典』は、
「出身」=(1)その土地・学校などの出であること。
(2)その地位・身分の出であること。
『岩波国語辞典』は
「出身」=その土地の生まれであること。その学校の卒業であること。その身分を経てきていること。
『三省堂国語辞典』には、「出身」とともに「出身地」が載っていました。
「出身」=その土地(学校・身分)の出であること。
「出身地」=(1)本籍地
(2)出生地
いずれにせよ、求めている答えにはほど遠い。
『日本国語大辞典』は、
「出身」=(1)官職にあげ用いられること。出世すること。立身。
(2)その土地またはその学校などから世に出ること。また、それまですごした経歴。
(3)仏語。すべての煩悩から解放され、自由の境地に達すること。
「出身地」=その人が生まれた土地。また、生い育った土地。
とまあ、こう見てくると、「出身地」と呼ばれるものには、
(1)生まれた土地
(2)本籍地
(3)育ったところ
の3つがあると思われます。(『三省堂国語辞典』ではこの(3)が欠けていますが。)
さらにこの(3)は、私のように何か所もある人がいることと思いますので話はややこしくなります。
インターネットで探っていたら、以前にも見たことのあるホームページが見つかりました。
「日本の標準」(http://matsuri.site.ne.jp/standard/)というサイトで、いろいろ意見の分かれる微妙な問題に対して、そのサイトの読者に投稿してもらって、人気投票的に「日本の中基準」を決めてしまおう、というお遊びサイトです。その第25回が「出身地の理由」。「出身地はどこどこです」と言う時にそこを出身地と呼ぶのはどういう理由によるものか?を投票してもらおうというものです。投票総数は70票。結果は、
(1)育った場所だから・・・・・34票
(2)生まれた場所だから・・・・33票
(3)一番長く住んでいたから・・・1票
そこの学校を出たから・・・・1票
親の出身地だから・・・・・・1票
ということで「本籍地だから」「住んでいるから」は1票も入っていませんでした。
1位と2位はたったの1票差。「生まれた場所」は誰しも1か所しかないからいいけど、「育った場所」というのは、その人その人の意識によって「小学校の時」だったり「中学校の時」だったり「高校の時」だったりしますよね。要は、
「自分の人格形成上の基礎が築かれた土地」
が、「出身地」になるのではないでしょうか?ほら、「出身校」というのは、自分の知識や学力を形成する基礎を固めた学校を指すでしょ。それと同じように。大体中学くらいかな。
「小学校高学年から中学生時代を過ごした土地を『出身地』」
としてはどうでしょうか?
でも中学時代に何回も転校している子はどうなのか?
身内の話で恐縮ですが(って、このコラムはほとんど身内の話なんですけどね。)うちの妻は、中学3年の途中までは札幌の中学で、そのあと福岡に引っ越しています。この場合、出身地は、どっちなんでしょうか?って、誰に聞いてるの?本人に聞かんかい。
結局、あとはその人その人が好きなように選択していいのではないでしょうか。現状肯定的ですが。
けどそうすると、「出身地」が変わったりすることもあるんでしょうね。何か所も「出身地」があったりして。そうなると、なんか、うそ臭い気がするなあ。
これが国際的に、育った場所がいろんな国だったりすると、もっと話はややこしくなるんでしょうね。手に負えないわ・・・。
2002/10/11
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