◆ことばの話765「スベタ」
7月28日、第20回「なにわことばのつどい」記念総会を取材しました。今年のテーマは「大阪弁の誤用・悪用を正す」。
以前、私が取り上げた「どきれい」など、コマーシャルで使われるインパクトの強い間違った大阪弁について話が進められました。その「ど」のついた言葉の話の中で、
「どスベタ」
という言葉が出てきました。「すべた」だけでも、あまり品のいい言葉ではないのに、それに「ど」が付くのですから、かなりお下品。その「すべた」について、「なにわことばのつどい」の二代目代表世話人の中井正明さんが、
「スベタは外来語です。」
と言ったので、会場がどよめきました。中井さんによると「すべた」はトランプの「スペード」のことで、スペードは、トランプ遊びのときに点がつかないので、無駄な価値のないことを「スペード」→「スベタ」になったというのです。
会場騒然。出席者の中の一人のご老人が手をあげて、発言を求めました。
「わたしは 『すべた』という言葉は、確か漢字で書かれたのを見たことがある。だから『すべた』が外来語というのは間違いではないか。」
そうだ、そうだという顔の出席者。しかし中井さんは、
「いえ、確かに『スベタ』は外来語です。ウソやと思ったら、家へ帰ったら辞書引いてみてください。」
常にカバンの中に電子辞書の広辞苑を忍ばせている私は、さっそく引いてみました。すると、
「スベタ」=(espadaポルトガル・スペイン語の転。剣の意。もとカルタ用語)
1.花札で点数にならないつまらない札。素札(すふだ)のこと。
2.顔かたちのみにくい女。また、女を卑しめてののしる語。
とあるではないですか!やっぱり外来語だったんだ。ただ、ここにも書くてあるように「素札(すふだ)」という言葉が最初からあったとすれば、そこから「すふだ」→「スベタ」と変わったことも考えられます。しかし、ポルトガル・スペイン語の「エスパーダ」に「素札」という漢字を当てたのかも知れません。それにしても「花札」の言葉なのか、トランプではなく。
会社に帰ってから、「日本国語大辞典」(小学館)も引いてみました。
「スベタ」(ポルトガルespadaから。元来はカルタ用語で「剣」の意)
1.めくりカルタで、点にならないつまらない札。
2.とりえのないつまらない者
3.顔かたちの醜い女。また、女、特に娼婦を卑しめていう語。
このほか、方言ではこの「スベタ」をどういうかが載っています。
ずべっこ(新潟県)
ずべろく(新潟県西頚城郡)
ずべたら(栃木県、埼玉県秩父郡、東京都八王子市、山梨県南巨摩郡、静岡県榛原郡)
ずべたらもの(群馬県勢多郡=道楽者の意)
ずべくら(熊本県下益城郡)
ずべとこ(富山県東礪波郡)
ずべたこ(兵庫県西宮市)
また、語源解説に付いては、
ポルトガル語、スペイン語のEspadaの訛り。トランプ用語がもと。
(大言海・すらんぐ=暉岡康隆)トランプのスペードから(国語学通説=金沢庄三郎)
スフタ(「素“厭の下に甲”」という字)の義(言元梯)
とありました。いずれにせよ、「スベタ外来語説」は通説のようです。
梅花女子大学の米川明彦先生編「集団語辞典」(東京堂出版)で「すべた」を引いてみると、
「すべた」(不良用語)
醜婦。娼婦。不良少女。また女性一般を卑しめて言う言葉。江戸時代のカルタ用語「スベタ」(零点札)から。かす札のことから転じたもの。
とありました。不良用語ね。ここの用例には、漢字で書いた「醜女」「尻軽」の横にそれぞれ「すべた」「スベタ」とルビを振られた、明治時代と思しき用例も載っています。(「醜女」に「すべた」とルビを振ってあるのは、泉鏡花「婦系図」)
ここからの派生語で「ずべ」「ズベ公」というのもあります。
同じ「集団語辞典」によると、ともに「不良用語」で
「ずべ」=「すべた」の略の転訛で、不良少女。または淫奔な女。「ずべこう」とも。
「ずべこう(ずべ公)」=不良少女。また不良仲間。「ずべ」は「すべた」の転訛。「ずぶこう」とも。
とあります。「広辞苑」はもっと簡略に、
「ずべ公」=不良少女。ずべ。
とだけ書いてあります。「日本国語大辞典」は、
「ずべ」
不良少女。ふしだらな少女。ずべこう。(用例略)(補注)カルタで零点札をさす「スベタ」から、また、「ずべら」からできた語といわれる。
まあ、用例は多いですが、説明は同じようなものですね。でも「ずべら」ってなんだろう?もう一度「日国大」を引いてみよう。
「ずべら」
行為や性格にしまりがないこと。だらしがないこと。また、そのさまやその人。ずぼらずべらぼう。
生意気なことをいう、不良仲間の隠語。
(方言)1.人をののしっていう語。役立たず。ばか。(新潟県中頚城郡)2.物事にしまりがなく、おうちゃくなこと。だらしない怠け者。じだらく。
フーム、どうやら「ずべら」は多さかでいうところの「ズボラ」ですな。その語感が「スベタ」や「ずべ」にも影響を与えているかもしれないのですね。それならば、外来語でないのかも知れないです。
でも今まで見てきた中からいうと、やはり外来語なんでしょうねえ。
それにしても、毎日いろいろ驚きがあって、本当に面白いですね。知的好奇心が刺激されます。(特にオチはありません。)
2002/8/3
◆ことばの話764「個」
毎週木曜と金曜は、朝5:25から放送の「あさイチ!」に出演しています。朝3時に起きて、3時半にタクシーで会社に向かい、4時に局に入ります。朝刊各紙の紹介をするのですが、出社してから本番まではたったの80分ほど。その間に朝刊5紙のトップ記事を含めて目を通し、番組で紹介する5項目をどれにするか、ニュースデスクと相談して決めなければなりません。1分が惜しい。そこで、出社途中のタクシーの中でざっと新聞に目を通すことになります。といっても、新聞配達の人たちさえ、まだ全戸には配り終えていない、どころか配り始めたくらいの時間に家を出るものですから、新聞を手に入れるには、コンビニしかない。さすが24時間営業のコンビニには朝刊が届いているところもあります。
ということで毎週木・金は早朝3時半過ぎにコンビニで新聞を買うということになります。タクシー社内の30分ほどで読める新聞はどう頑張っても3紙。そこで、いつも日経を除く3紙を購入します。私がいつも新聞を買うコンビニは、不思議なことに、日によって各新聞の届く時間が微妙に違うみたいで、なぜかいつも1紙だけ届いていません。で、それ以外の3紙を購入しているわけです。
そのレシートを見ていておや?と思いました。そこにはこう書いてあったのです。
シンブン130エン @×2個
おいおい、シンブンはいつから1個2個と数えるようになったんだい?
私たちにとって、情報が載っている新聞は、
「1紙、2紙」
ですが、「モノ」を販売しているコンビニ業にとっては、「シンブン」は「単なる商品」に過ぎないので、
「1個、2個」
と表すのでしょうかね?
「1個、2個」の「個」は、よく考えると「個人」の「個」でもあります。こんなところまで「個人主義」がはびこっているのでしょうか?
また、「一つ年上」のこと、あるいは「一つ学年が上」のことを、最近の若者は、
「1コ上」
という言い方をするのは、よく知られていますし、わざと若ぶって、エエ年したおっちゃんやおばちゃんが「1コ上」なんて言っているのも、たまにも見かけますが、「個」はこんなところにまで侵入していたのですね。
2002/7/29
◆ことばの話763「三位一体」
アナウンス部の仲間でお昼ご飯を食べていた時のこと、後輩のOアナウンサーがこんな話を始めました。
「この前、後輩のSに『“さんみいったい”の“み”って、漢字でどう書くか、わかるか?』と聞いたところ、わからなかったんですよ。」
と言うのです。
「えー、“三位一体”やから“位”やろ。」
「そうなんですけどね。」
「どうせ、“味”とか言ってたんとちゃうの。」
とWアナ。
「“身”だったりしてな。」
と私。
「“三位一体”と聞くと、私はOYアナウンサーが台風中継のときに『雨と風と波が、三位一体となって吹き寄せてきます』と言ったのを思い出します。」
とMアナウンサー。
「ふーん、そんなこと言ったんか。ちょっとなあ。」
と私。すると、話を始めたOアナウンサーが、
「でも“三位一体”って、仏教用語かなんかでしたよね。」
えーーーー!!と、ぶっ飛ぶ私。
「違うやろ、“三位一体”はキリスト教やろ!」
「そうなんですか、全然知らんかった。」
困ったなあ、知っといてよね。一応辞書を引きますよ。(新明解国語辞典)
「さんみ」(三位)=(キリスト教で)父なる神(=天帝)・子なる神(=キリスト)・聖霊
「さんみいったい」(三位一体)=1(キリスト教で)三位はすべて神の現われで、元来一体のものであるという説。2三つのものが一つになる(心を合わせる)こと。
「そうだったんですかあ、キリスト教かあ。」
「仏教とちゃうで。英語で言うと、トリニティ(Trinity)。“トリ”は“トリオ”の“トリ”、“3”やね。」
「ああ、トリニテイって三位一体のことだったんですかぁ。」
「そう言えば、“サンミー”って菓子パンがあって、中学のときにめっちゃ好きやったんですが、この間久々に見かけまして。あれ、まだ売ってるんですねえ。」
「売ってるよ。見ることあるで。」
「あれってパンの生地と、チョコレートと、白いクリームが三位一体になっているから、“サンミー”って言うんでしょ。」
「え!!!そうなの?ぜーんぜん、知らなかった!」
最後に驚いたのは私です。とってもためになるランチタイムでした。
2002/8/2
(追記)
コンビニの「ファミリーマート」で売っていました、「サンミー」!!神戸屋から出ていました。英語で
KOBEYA SWEET DANISH
と記されていて、さらにその命名に付いて、
「パンの中にクリームをサンドし、上にチョコとビスケット生地の3つの味<三味(サンミ)>が楽しめるデニッシュ」
と書いてありました。おお、やっぱり三つの味で「サンミー」でしたか。知らなかったなー。
2002/8/5
◆ことばの話762「セミの恩返し」
うだるような真夏の休日の昼下がり、ベランダで何やらはばたく音がします。行ってみると、スズメが「バサッ」という音を残して飛び去って行きました。我が家はマンションの11階。結構高いところまでスズメも飛んで来るのだな、米粒でも落ちていたっけな?と思ってリビングに戻ると、また、何やらはばたく音がします。しかし今度は先ほどよりやや小さな音です。今度は何だろう?と思って静かに近づくと、その物音は、ベランダの植木鉢の陰から聞こえてきます。静かに静かに、そーっとそーっと覗き込むと、そこには、一匹のセミが仰向けにひっくり返って手足(どれが手なのかな)をばたつかせていました。アブラゼミです。
「さっきのスズメが、くわえてきたんだ」
エサにしようとしたのですかね。でも私が急に近づいたものだから、スズメはエサを置いて逃げたんだな。
アブラゼミは、起き上がることができず、必死にもがいているのです。アブラゼミって一旦ひっくり返ると起き上がれない体型だったのです。
このままでは、干からびて死んでしまう。せっかくスズメの魔手から逃れたのに・・・。そう思った私は、セミが起き上がるのを手伝ってやりました。
「ありがとう、おかげで助かったよ!」
と言ったはずはありませんが、セミはそのままはばたくと、
「ジジッ」
という音を残してベランダから飛んで行きました。上の方には飛んで行かず、11階から下の方に落ちるように。その瞬間、私は
「しまった!・・・かな」
と思いました。私の頭に浮かんだのは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のカンダタです。
「もし私が地獄に落ちたら、アブラゼミに助けてもらえるかもしれない。でも、蜘蛛は“糸”で救ってくれようとしたけど、アブラゼミは何を使うんだろうか?なんとなく、どんな手でもいやだな。」
そして、時節柄、ジブリ映画「猫の恩返し」も頭に浮かびました。まだ見てないけど。
「あのアブラゼミは、セミの国の王女様で、連れて行かれたらどうしよう!?」
そのセミの王女様が、
「お礼に、一肌脱ぎます!」
なんて言って、脱皮したりして。これがホントのセミヌード・・・・いかん!暑さのせいだ!!
・・・・あのまま、ベランダの様子に気付かなかったほうが良かったかな。
セミってあの大きさだからいいけど、巨大化したら、相当恐ろしいですよね。
セミを見ると、ちょっと複雑な気持ちになる今日この頃です。
それにしても今年は例年よりアブラゼミが多い気がする。一時はクマゼミに都会(大阪市内)も占拠されたようだったけど。ツクツクボウシも聞くなあ。今年はセミ、多くないですかあ?
2002/7/28
◆ことばの話761「うまっ!2」
平成ことば事情529で、去年(2001年)の年末に書いた「うまっ」という形容詞の強調表現、コマーシャルで、またいろいろ出てきました。
まず、ケータイ電話のコマーシャルで、一人の部屋でケータイの請求書を見たサラリーマンがひとこと「高っ!」。
次に、日清食品のインスタントやきそば「UFO」のコマーシャル。半人半馬となった広末涼子が、やきそばを食べてひとこと、「うまっ!」。これは「うまっ!」(=うまい!!)と「馬」をかけているのでしょう。言葉遊びとしては、そんなにウマくはありません。
そしてサントリーの発泡酒「炭濾過・純生」のコマーシャルでも、やはり「うまっ!」が出てきます。こちらは、文字でもしっかり「うまっ」と出ています。
本来、東京圏では「うまい!」を地元の言い方で言えば、
「うめぇ!」
のはずです。「高い」は「たけー」、「早い」は「はえー」というふうになるはずです。
3拍の形容詞の母音に注目すると、これは、
「ai→e」あかい→あけー、ない→ねえー
「ii」????????
「ui→i」まぶい→まびー、かゆい→かいー、あつい→あちー
「oi→e」ふとい→ふてー、くろい→くれー、すごい→すげー
「ei→e」きれい→きれー??
という感じですよね。これに対して「うまっ」「たかっ」「はやっ」というのは「い」を取っただけの形です。この方が簡単だと言えば簡単です。
日清食品とサントリーはもともと関西の企業ですから、「うめぇ」ではなく「うまっ」にもそれほど社内で違和感がないのかもしれません。でもそれより、関東の若者の間でこの「うまっ」が浸透していて、しかも新鮮な表現として採用されたというのが、本当のところではないでしょうか?
これは取材してみる価値がありそうだな。
2002/8/6
(追記)
上記のケータイのコマーシャルは、「ツーカー」のものでした。それでもう少し詳しく書くと、一人暮らしの若いサラリーマンが家に帰ってきて、ケータイの請求書を見て、
「たか(高)―!」
と驚いた拍子に、コーヒーを足にこぼして、
「あつっ(熱)・・・」
というものです。今年の5月23日の午前11:58に読売テレビで流れていたのを見た、というメモが出てきました。
2002/8/12
(追記2)
この項目「うまっ2」になっていますが、実は「うまっ」の「1」はありません。私の勘違いで、平成ことば事情529で「はやっ」について書いた中で「うまっ」に関しても書いただけでした。すみません。4年後に気づきました。
さて、見坊豪紀・稲垣吉彦・山崎 誠『新・ことばのくずかご84−86』(筑摩書房)の174ページに、
「ダサッ」(ダサイの強調形)
が、『週刊現代』(1984年6月2日号)からピックアップされています。1984年ですかあ・・・採集、ハヤッ!
2006/9/11
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