◆ことばの話605「知らなんだ」

朝日新聞(2002年2月5日)に、



「知らなんだ・・・発祥の関西でも"死語"」



という見出しの記事が出ました。それによると、「知らなんだ」「行かへなんだ」など「〜しなかった」を意味する言い回しが、室町時代以来500年にわたって生き続けてきたのに、発祥の地・関西ですら、若者の間では全く話されていなくなっていることが、国立国語研究所の調査でわかったというのです。



その内容は、1977年度〜85年度に文化庁が全国235地点で、60歳以上の話し言葉を録音。その分析によると、京都・大阪・滋賀・奈良・和歌山の2府3県で「過去の打ち消し表現」を抜き出すと、「〜ナンダ」「〜ヘナンダ」といった形が全体の75%を占めました。



一方、1993年〜96年にかけて京阪神に住む大学生の日常会話を録音したものを調べたところ、「〜ナンダ」「〜ヘナンダ」の形は1件も出てこなかったというのです。



さっそく、「ニューススクランブル」の「新世紀ことば探検隊」で取材することにしました。まずは、年配の方は「知らななんだ」を本当に使うのかどうか?「なにわことばのつどい」代表世話人の中井正明さんのお宅で話を伺いました。



中井さんは昭和8年(1933年)生まれの68歳。ふだん「〜ナンダ」は使うそうです。しかし、新年の「放談会」で30人ほどの会員さんが集まった時に、「〜ナンダ」をふだんから使うと言った人は、中井さんより年配の3,4人に過ぎなかったそうです。



関西弁に興味を持っている、60歳以上の人においてもそういった状況ですから、若い人は確かに国立国語研究所が言うように「〜ナンダ」は使わないだろうなと思いながら、街頭インタビューを行いました。



結果は・・・意外にも若い人は、「"大阪弁"として意識して、わざと使うことはある」という答えが、結構あったのです。しかし全体的に見たら、やはり「使わない」という人がほとんどでした。



その結果を持って、東京・西が丘にある国立国語研究所の井上文子主任研究員にお話を伺いました。井上さんには一昨年の秋、広島で行われた国語学会で、一度チラッとお会いして、名詞・・・いやいや名刺を交換したことがありました。



井上さんのお話によると、やはり若者のふだんの会話の中には「〜ナンダ」「〜ヘナンダ」は出なかった。ただ、「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」のように、現在の普通の関西人はふだん使っていないにもかかわらず、関西以外の人たちからは「関西人は、ふだんからそういう言葉をしゃべっている」と思われているティピカルな大阪弁の一つとして、「行かなんだ」「聞かへなんだ」のような「〜ナンダ」「〜ヘンナンダ」は残るのではないか、ということでした。



これだと、今の一部の関西の若者が、「大阪弁」と意識して「〜ナンダ」を使っているという実態にも合致しますね。



さらに大阪大学大学院の真田真治教授は、こう語ります。



「『行かなんだ』が消えてしまっても、すぐに標準語の『行かなかった』に取って代わられるわけではない。現在、若者に広がっている言い方は『行かへんかった』だが、これは本来の大阪弁の『行かなんだ』と、標準語の『行かなかった』がミックスされた形の、『新しい関西方言』である。」



また標準語の場合、「行かなかった」を分析すると、



「行か」十「なかった」



となるが、関西弁の「行かへんかった」は、



「行かへん」十「かった」



という語構成なのが特徴。この場合「かった」は過去を表している。



これは形容詞の過去形「寒かった」「暑かった」「おいしかった」のように、「かった」という形が共通して見られるものからの類推から「かった」を「過去」と判断して、「行かない」の大阪弁「行かへん」に過去形「かった」をくっつけた形だと分析されています。



「寒かった」「暑かった」「おいしかった」の場合、本来は「寒かっ」「暑かっ」「おいしかっ」までが語幹(連用形)で、過去を表しているのは助動詞の「た」だけなんですが、なんとなく「た」だけより「かった」という長さのまとまりの方が、「過去を表す語」として適当だと感じられたのでしょうね。一文字の語はむずかしいですから。



国立国語研究所では、実際に文化庁が調査・録音したテープやCDで、20数年前の高齢者のしゃべる言葉(会話)を聞かせてもらいましたが、「知らなんだ」「聞かへなんだ」をはじめとして、関西弁になじんでいる私にとってはすごく懐かしい響きの会話がそこには収録されていました。



その昔、石川啄木が詠んだ



「ふるさとのなまり懐かし停車場の 人込みの中に そを聞きに行く」



という歌を思い出しました。…本当のことを言うと「人込みの中に」の部分を忘れていて、後輩のHアナに、



「石川啄木の、"ふるさとの・・・"という歌、"停車場に"のあとは何だっけ?」



と聞くと、彼も、少し躊躇した後、



「えーっと、ふるさとの なまり懐かし停車場に われ泣き濡れて 蟹とたわむる・・・海の近くの停車場だったんですね。」



と、トボけられたので「んなわけ、ないやろ!」と突っ込んでいるうちに、思い出しました。まあ、そんな懐かしさを感じたということで。



言葉というものは移り変わって行くものですが、やはり、少し寂しさを感じますね。



それにしても、「知らなんだ」が、そんな運命にあるとは、「知らなんだ。」



2002/3/28


◆ことばの話604「関西弁のウソ」

関西方言で「嘘」と言う時。いや、「嘘」を言うのではありません、「うそ」という単語を発音する時です。その時、関西では「うそ(LH)」(Lは低く、Hは高く)と尾高アクセントで言います。「うそを言う」は「LHLHH」です。私はそうですし、今までそう思ってきました。「うそ」を言う時は必ずそうでした。



郡史郎編「大阪府のことば」(明治書院・1997・7・15)によると、「うそをつく」は



「うそを(LHL)つく」



と尾高アクセントになっていますし(95ページ)、「嘘や!」は、大阪市周辺の俚言(方言)として、



「ウソヤ(LHL)」



と尾高アクセント(196ページ)で載っています。



一方、共通語のアクセントは「うそ(HL)」と逆のアクセント、頭高アクセントです。



ところが!先日来耳にした上方落語では、大御所・人間国宝の桂米朝さんが、



「うそ(HL)」



という頭高アクセントを使っていたのです。米朝さんは、たしか姫路の方のご出身とか。でも上方落語を何十年もやってらして、上方落語の第一人者。まさかそんなところのアクセントを間違えるはずがない。どうしてなんだろう?と気にしていたところ、昨日(3月4日)の夜、NHKの上方落語の番組を見ていたら、今度は桂吉朝さんが、



「うそ(HL)」



というアクセントで語っていたのです。



もしかして、上方落語の舞台となった江戸時代もしくは明治時代には、「うそ」のアクセントは上方では、頭高の「うそ(HL)」であったのではないか?という疑問が浮かんできました。ただ、吉朝さんは米朝門下で、きっちりと師匠の芸を受け継いでいる方だと伺っていますので、米朝さんのアクセント通りになぞっているのかもしれません。



私の一年先輩で、青山学院大学落語研究会出身の森たけしアナウンサーに聞いたところ、



「さあ・・・それはわからんな。」



ということでした。



????マークが頭の中に渦巻いたので、「なにわことばのつどい」の代表世話人、中井正明さんに電話しました。そして、米朝さんの「ウソ」のアクセントの話を持ち出したとたん、中井さんは即答されました。



「ああ、あれは間違いです。大阪弁で"ウソ(嘘)"のアクセントは"LHL"です。"ウソ(HL)"は東京弁のアクセントで、大阪弁では100%ありません。牧村史陽先生の『大阪ことば事典』にも、"ウソ(LH)"のアクセントしか載っていません。大阪で"ウソ(HL)"というアクセントは、"鷽(うそ)替え神事"の鳥の"鷽(うそ=HL)"しかありません。そやから私ら、いつも講演なんかでも、(米朝さんは)人間国宝やけど、ウソを(LHL)言うな!て、言うてますねん。」



やっぱりそうだったか。 中井さんは、さらに話を続けます。



「(藤山)寛美さんも、舞台では大阪弁とちゃうアクセントを使うことがありましたで。大阪弁のアクセントやと、声の通りが悪いと思われるもんは、音を変えてやってはりました。私らは"芝居アクセント"と呼んでましたけど。」



「米朝さんはほかにも、(落語の中で)"千鳥足"のことを"ハチニンアルキ(八人歩き)"と言うたはりますけど、あれはほんまは、"クニンアルキ(九人歩き)"言いまんねん。酔っ払って千鳥足やと、右へヨッタリ・左へヨッタリなんで、(ヨッタリは大阪弁で四人のことだから)自分(本人)を入れて九人。そやから"九人歩き"っちゅうのに、米朝さんは、"八人歩き"。自分がどっか行ってはるんですわ。」



なるほど、ヨッタリヨッタリで自分を入れて9人ですか。ことば遊びの上に、計算までせんならんとは。高級なことば遊びですね。



そうそう、今日(3月11日)の国会での鈴木宗男氏の証人喚問で、社民党の辻元清美議員(大阪出身)が声高に、



「ウソをつかないでください」



と言ってましたが、これもやはりアクセントは「うそを(LHL)」でした。「うそを(HLL)」ではありませんでした。



その後、米朝門下の若手落語家の方にお話を伺う機会があったので、この「ウソ」のアクセントについて聞いてみたところ、



「確かにウソ(HL)と頭高のアクセントで教わりましたね。今我々が使っているアクセントと、昔の大阪弁のアクセントとは違うことがありますからね。昔は頭高でウソ(HL)と言ったのかも知れませんね。」



ということでした。逆に、吉朝さんのお弟子さんは、



「われわれ若手が、"というわけで"という言葉の"わけ"を頭高のアクセントで"わけ(HL)"しゃべっていたら、師匠から"そのアクセントは東京語や。大阪弁のアクセントは"わけで(LHL)"というアクセント(尾高アクセント)でなければいけない"と注意されたこともありましたから、アクセントには厳しいと思うんですよね。」



と話してくれました。



そうなると、昔(江戸〜明治時代くらい)の大阪弁の「ウソ」のアクセントでは、頭高の可能性はまだ捨て切れないんですよね。



さらに数日後、東京出張でNHK放送文化研究所をたずねた時にこの話をしたところ、用語担当のS部長、H研究員、S研究員が手分けして、古い関西のアクセントを調べてくれました。その結果、京都方言の「ウソ」のアクセントには、「ウソ(HL)」という東京のアクセントと同じ「頭高アクセント」が記録されているものがあることがわかりました!



そうすると、米朝さんのアクセントは、大阪ではなく、京都アクセントに範を撮ったものである可能性も出てきたわけです。



調べてみるものですねえ。



また、産経新聞の2002年1月10日の特集で桂米朝さんと藤山直美さんの対談記事が載っています。その中で米朝さんは、



「明治の末ぐらいは東京で、上方落語の言葉はさっぱりわからんかったらしい。それをだいぶ通じるようにしたのは曾我廻家五郎さんで、大正のころ。」



と話しています。つまり上方言葉を、関東の人にも通じるように多少変えたこともあったのかもしれませんね。



そうそう、それからもうひとつ気になることがあります。読売新聞大阪版で毎週土曜日に連載している漫才コンビの夢路いとし・喜味こいしさんの「聞き書き・浮世はいとし、人情こいし」(2月2日・第39回「商店街」)の中で、いとしさんが、



「真ん中の薬屋さん、つぶれたのか、やめたのか、ぽっとあいちゃって。



と発言していますが、この「あいちゃって」の「ちゃって」は、大阪弁なのでしょうか?東京弁のイメージが強いのですが。



どうなんでしょうか????

2002/3/14


◆ことばの話603「言わずもがな」

「道浦さん、"言わずもがな"の意味はどうだと思います?」



後輩のHアナウンサーが話しかけてきました。



「"言うまでもなく"だろ。」



と答える私に、Hアナは、



「フム。やはりそうですか。実は今朝(3月5日)の読売新聞朝刊の"編集手帳"にこんな文章が載ってたんです。」



と言いながら差し出された「編集手帳」を見てみると、



「・・・真空鈴の実験は、やり方を誤るとフラスコが爆発することもある。異常な"鈴"の音にも涼しい顔でいた官僚は言わずもがな、爆発するまで事態を放置した歴代外相も、その罪は重い。」



と書いてあります。



「どこがおかしいの?」



「いや、本来の"言わずもがな"の意味は、"言わないで欲しい"のはずなんですよ。」



「えー!!知らなかった!」



驚いて、「三省堂国語辞典」を引くと、確かにそう書いてあります。



「言わないほうがいい(いわないでもらいたい)」



でもこれまで40年生きてきて、ずーと間違って使っていたのか、恥ずかしい・・・・。



と、少し思ってから「新明解国語辞典」を引いてみると、二つ目の意味として「言うまでもなく」が載っているではありませんか。



また「日本国語大辞典」にも



(「もが」は願望の意を表す助詞。「な」は感動の助詞)



【1】言葉に表さないほうがいいと思われること。言わでもの事。



【2】言うまでもないこと。わかりきって今さら言う必要のないこと。言わでもの事。



しっかり「言うまでもなく」の意味の「言わずもがな」が載っていました。



用例としては、



「露店が並むで立食の客を待ってゐる品(もの)は言はずもがなで、喰っている人は大概船頭船方の類にきまってゐる」(「忘れ得ぬ人」1898年の国木田独歩)



と載っていました。国木田独歩です。国木田かっぱさんではありません。



そのことを指し示すと、Hアナは、



「そうかあ、もう辞書に載っていたのかあ。じゃあ、しょうがないな。」



と、もともとの意味ではない「言わずもがな」を、しぶしぶ認めることになりました。



私にとっては、「言わずもがな」の本来の意味を知ったことで大きな収穫でした。H君、ありがとう。



ところで、私は大学時代にこの「言わずもがな」を巡る思い出があります。あまり「言わずもがな」を巡る思い出のある人というのは、他にそれほどいないかと思いますが・・・。



当時所属していた合唱団の同期のH君が、私の言葉は間違いだと指摘してきたのです。その時私は、



「言わでもがな」



と言っていたのです。どこが違うか?「ず」ではなく「で」です。



この「言わでもがな」は、当時関西では人気の高かったラジオ番組「ぬかるみの世界」(ラジオ関西)の中で、パーソナリティの笑福亭鶴瓶さんと放送作家の新野新さんが使っていたので、それをマネして私は使ったのですが、東京生まれ・東京育ちのH君は、



「そんな言葉はない!」



と強硬に主張。私は「本来は"言わでもがな"だ!」と何の根拠もなく言い張ったのですが、下宿に帰ってからこっそり辞書を引いたら、そんな言葉は載っていませんでした。



翌日こそっと「やっぱり"言わずもがな"が正しいみたいだね・・・」と言うと、H君は勝ち誇ったように胸を張って「そうだろ!」と言ったのを覚えています。



でも今「日本国語辞典」を見ると、「言わでも」というのは載っていますから、全くの間違いとも言えないのかもしれませんが。



このほか彼とは、「桜餅のあんは、外から見えるか、見えないか?」でも大論争をしました。この時の結論は「関東の桜餅はあんが見えるが、関西の桜餅は見えない」ということで、痛み分け。庶民レベルでの東西文化の違いを、お互いに学んだのでした。



そのH君は11年前、千曲川でのカヌーの事故で31歳の若さで亡くなりました。



桜餅の季節になると、彼を思い出します。

2002/3/7


(追記)

「週刊文春」2002年4月4日号の小林信彦のエッセイ「人生は五十一から」206回「<裏名画座>の閉館」の最後の方で、こんな文章が。



「昭和間のとりこわしの理由は老朽化であり、外部で騒いで欲しくないとのことだが、



書かでもののことを書いてしまった。」



この「書かでも」は、「言わでも」と同じ使われ方ではないでしょうか。小林さんは東京の人でしょうが、関西弁にも造詣が深いから「書かでも」と使ったのでしょうかね?

2002/4/1


◆ことばの話602「ブランド」

国産かと思ったら輸入牛だった、黒豚のつもりで買ったのに白豚だった、国産の鶏肉と思ったら輸入鶏肉だった・・・・。



ニクニクしい話題が連日新聞紙面をにぎわし、みなさんもだいぶん、感覚がマヒしてきたころではないでしょうか。



松阪牛かと思ったら近江牛だったというのもありましたね。



だいたい、食事の時に豚肉か牛肉かもわからない味覚音痴に、国産牛か輸入牛かなんてわかるわけがないじゃないですか。



松阪牛の名前を使って実は近江牛だったというケースについては、「どちらも高級国産牛肉だから良いじゃないか」と言う方もいらっしゃいますが、確かにどちらもおいしいからそれはいいんです。でもそれなら最初から堂々と「うちは近江牛です」と胸を張って売ったらどうですか。名前だけ「松坂牛」にするのは詐欺的です。だまし討ちです。



「松阪牛」は仕入れ値も高くて、本物を使っていたら儲からないから、というのは理由になりません。



このところの事件を見て思うのは、「ヴィトンだ、エルメスだ」というふうな「ブランド」好きな若い女の人を冷ややかな目で見ていた人でさえ、こと、食べる物に関しては「松阪牛だ、黒豚だ」というブランドを追っていたのではないかということです。そしてあまりにもみんなが、そういったブランドを追うから、生産が追いつかずに誤魔化しの手口に出たのではないでしょうか。



もともとはブランドというのも、その料金に見合った高い品質を売り物にしていたはずです。求められたのは「品質」。しかし、そのうちに「名前」に価値が出てきました。そして「名前さえあればOK」となってきました。



食品のブランドも、本来は「品質」にあったはずです。その目印としての「名前」だったのですが、そのうちこれが逆転して「名前が付いていれば品質は安心」となってきました。従来の生産体制と職業倫理があれば「逆もまた真」だったのですが、やはりかけていたのでしょう。「品質よりも名前が大事」となってきたのです。



名前が信用できない以上、物自体の見極めを消費者自身がやらなくてはならないのですが・・・スライスされた肉が輸入か国産かなんて、プロでもわかりまへんで。消費者は



やはり表示を信じるしかないのです。



そうすると、必要なことは何か?「表示は必ず正しい」という事を保証できる体制を作ること。違反したら思い罰則を設けること。そしてわれわれがそれをしっかりと監視することです。よく「地に落ちたスノーブランド」なんて新聞は書きたてましたが、「ブランド」がよいものの目印ではなく悪いものの目印にならないように、今、歯止めをかける必要があるのではないでしょうか。

2002/3/5


(追記)

2002年2月28日の読売新聞34面(大阪版)に連載されていた「王国の冬〜公共工事・島根で」のサブタイトルは「ブランド」。そして島根でブランドと言えば、



「竹下登」



この6月で三周忌(なくなって満2年)となりますが、造り酒屋「竹下本店」には、竹下登元総理の弟で13代当主の三郎さんの表札と並んで、今も「竹下登」の表札がかかっていました。



しかし、竹下派を継いだ橋本龍太郎元総理も、先日緊急入院。それも小泉人気の陰に…というより「ムネオ」の陰に隠れてしまっています。「竹下ブランド」は、永田町ではもう過去の話のように見えます。



2002/3/8


(追記2)

4月5日の産経新聞に「安全な食品どう選ぶ」と題する記事が出ていました。見出しを追うと、その答えは「信頼できる店で買う」「健康な食卓を心掛ける」だそうですが、もう一つの見出しが、



「ブランドに弱い消費者にも警鐘」



でした。やはり牛肉も「ブランド頼み」の消費者、また生産者の姿が垣間見えます。



良心的な店は、牛肉ならば「和牛」「国産牛」「輸入牛」がほぼ同じ比率で並んでいるそうで、「すべてではないが、牛肉のうち和牛が7割など極端に和牛が多い店は信頼できないといっていい」と食品問題研究家の増尾清さんという方が答えています。



ご参考までに。でもこれに頼りすぎるとまた「ブランド頼み」になってしまいますから、ご注意!

2002/4/5


◆ことばの話601「バットコントロール」

日本と同じく、アメリカのメジャーリーグでもオープン戦が始まりました。



大リーグ2年目のイチロー選手も順調な仕上がりを見せているようです。



そのイチロー選手についての、3月4日NHKのお昼のニュース。左バッターのイチローが、外角球を上手く流してレフト前ヒットを放った様子を表現して、



「イチローらしいバットコントロールで・・・。」



という一文がありました。



このところよく耳にするこの「バットコントロール」という言葉。2001年10月9日、イチローの2冠(首位打者と盗塁王)を伝えるの読売新聞朝刊スポーツ欄でも、



「彼の打席では内野手は前進守備を強いられ、それがまた安打につながる。あのバットコントロールの良さとスピードは脅威。」と、終盤までイチローと首位打者を争っていた、インディアンズのアロマー二塁手の言葉の中にも「バットコントロール」が出てきていました。



しかし、どうもなじまんのですわ、私には。というのも、「コントロール」という言葉に私が持っている語感は、ちょっと離れたものを操作する「リモート・コントロール=リモコン」的なイメージがあるのです。野球で言えば、「ピッチャーのコントロール」と言えば、「ボールコントロールする能力」=「ボール・コントロール」です。つまり「コントロール」の前には「ボールを」という目的語が来ます。そして、そのボールがコントロールされた先の「ストライク、ボール」という判定=結果は、コントロールするピッチャーの指から離れた18メートル先にあります。



それに対して「バットコントロール」という言葉は「バットコントロールする」というよりも、「バットボールをコントロールする」というイメージが強いのです、私は。



しかもバットは直接自分の手で持っているわけなので、それを「コントロールする」という感覚が、ちょっとヘンな気がしています。そもそもこれは英語なのでしょうか?それとも和製英語なのでしょうか?



いずれにせよ、メジャーリーグのニュースが増え出してから、この言葉も増えたように思えます。



このように、日本人選手が海外に進出しているスポーツでは、外国語の専門用語がたくさん入ってきているようです。サッカー担当の小澤アナウンサーに聞いたところ、先日出席した「高校サッカーを考える会」での公演でも、横文字が多かったと言うことです。例えば、



「スキル」「トータルフットボール」「ユース・ディベロップメント・プラン」「プレーヤーズ・ファースト」「フィジカルの強い」



など。それぞれ、



「技術」「総合的サッカー」「若手強化計画」「選手第一主義」「身体能力の高い」



などと日本語(漢字)に置き換えることもできますが、サッカー界では、選手が世界に出た時に、海外の指導者の言葉が理解できるよう、英語をふんだんに取り入れているということですが、本当に英語なのか、和製英語なのか、不明のものもあります。和製英語じゃ、役に立たないのでは?とも思うのですが。



また、現在の日本代表の監督・トルシエさんはフランス人ですし、その前の岡田さんと加茂さんは日本人、その前のファルカン監督はブラジル人、その前のオフト監督はオランダ人・・・。英語が母国語の人は一人もいないじゃないですか!



今、海外に出ている選手も、中田選手はイタリアだし、小野選手はオランダ。帰って来たけど名波選手もイタリア。城選手、西澤選手はスペイン、高原選手はアルゼンチン。その昔、三浦カズ選手はブラジルに渡り、イタリア、クロアチアにも行きました。さらにずーっと昔の話でも、奥寺選手、風間選手はドイツだし。こうやってみると、英語圏に行った選手は、稲本選手(イングラント)ぐらいじゃないですか?じゃあ、本当に英語がサッカー選手に必要なのかどうか。ちょっと疑問ですね。



話がそれてしまいましたが、実は日本人は「○○コン」という省略語が好きなんですよ。



鈴木孝夫さんの「日本語と外国語」(岩波新書1990・1・20)の219ページから「さまざまな"コン"」という項目があります。そこには「○○コン」の例がたくさん挙がっています。ちょっと見てみると・・・、



「マイコン」「パソコン」「ファミコン」「スパコン」「マザコン」「ロリコン」「リモコン」「バリコン」「トルコン」「エアコン」「ピアコン」「ツアコン」「ゼネコン」「生コン」「合コン」「エキコン」



などが挙がっています。全部何の「コン」かわかりますか?



コンピューター、コンプレックス、コントロール、コンデンサー、コンバーター、コンディショナー、コンチェルト、コンダクター、コントラクター、コンクリート、コンパ、コンサート



の略だそうですが、最後の「エキコン」「駅コンサート」の意味より、最近は、



「駅構内のコンビニエンスストア」



の意味でも使われているようです。



なんだかまた話が横道にそれましたが、「コントロール」に関して、日本語として馴染んだ、「○○コントロール」という言葉を「逆引き広辞苑」から引っ張ってくると、



「リモートコントロール」「バースコントロール」「シビリアンコントロール」



「セルフコントロール」「ドーピングコントロール」「フェニミニティーコントロール」「マインドコントロール」「ラジオコントロール」「ワンマンコントロール」



と、9つ載っていました。



このうち「コントロール」の前に来る言葉が「〜を」にあたるのは、



「リモート」「バース」「ドーピング」「フェミニティー」「マインド」



「〜で」あるいは「が」にあたるのは



「シビリアン」「セルフ」「ラジオ」「ワンマン」



です。「リモ−ト」は考え方によっては微妙ですが。



そう種分けをすると、必ずしも「〜を」でなくても良いようですね。



じゃあ、「バットコントロール」も「バットをコントロール」あるいは「バットでコントロール」ということで良いのかな。・・・トーンダウンしてしまいました。



では、「良いバットコントロール」は、



「グッド・バットコントロール」



グッドかバッドか、はっきりしてくれ。



2002/3/5

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