◆ことばの話470「ホームレス風」
兵庫県尼崎市で女子生徒が刺されたニュースで、
「逃げた男は顔が黒くホームレス風」
と表現したところ、「これは差別発言ではないか」という意見が視聴者からの寄せられました。
読売テレビ報道局の見解は、
"服装や年齢を伝えれば十分なケースもあり、安易に「〜風」との表現を濫用すべきではないと考えています。犯人はニュースオンエアー段階では逃走中で犯行を重ねる可能性もあり、視聴者に犯人の特徴を分かりやすく伝えるためにも、目撃者の表現に基づいて"ホームレス風"と表現したことに行き過ぎがあったとは考えていません。報道局では過去にもニュース原稿でホームレスという言葉を使用しており、ホームレスという表現イコール差別的とは考えていません。"
というものでした。
日本新聞協会用語懇談会放送分科会が出している「放送で気になる言葉」には、
「一見作業員ふう」
という表現が取り上げられいます。(1993年10月にまとめたもの。)そこには、
「"一見労務者風"を使わないことにしたら"一見作業員ふう"という表現が増えてきた。"作業員"にも色々な職種があるのだから、十把ひとからげの"作業員"は失礼ではないか・・・」
「問題は"一見〜ふう"の表現だろう。服装を具体的に伝えれば足りるものを、報道する側の印象だけで判断するのは不謹慎ともいえるし、社会的地位の高い人たちにはあまり使われないという事実もある。"一見作業員ふう"を含めて"一見〜ふう"の表現が好ましくない点では、委員の意見が一致した。」
とあります。前段の「作業員にも色々な職種があるのだから云々」というのが既にちょっと差別的な感じがしますが、後段は「確かに、そうだな。」という気がします。
さらに一歩踏み込みますと、「ホームレス」という表現そのものは、国も使っていますし(使うことに関して)問題はないと考えられます。また、例えば「一見、サラリーマンふう」という表現も、問題はなさそうです。それが、「ホームレス」と「一見〜ふう」がくっついて「一見ホームレスふう」となった時には、差別感がにじみ出てきます。
なぜか?
それは「ホームレス」というものに対する一般意識=常識、あるいは固定観念・先入観が、「お風呂にはいっていないので汚い」など、「マイナスのイメージ」を持つものであるからではないでしょうか?そして「〜ふう」の「ふう」とは、「〜のような感じ」という意味です。「のような感じ」ということは「〜」の代表的な特徴が出るのでしょう。
一見して一番特徴が出るのは「外見」(=見た目)。ですから「代表的特徴」=「代表的服装」ということになります。
「代表的服装」にマイナスのイメージが強くある職業が「一見〜ふう」の「〜」の中に入ると、「その職業そのものすべて」がマイナスイメージに包まれてしまう。
見た目にマイナスイメージのない、あるいはマイナスイメージよりも他のイメージが強い(ニュートラル、若しくはプラスイメージがある)職業、たとえば「サラリーマン」「公務員」「銀行員」「商店主」「警備員」「プロ野球選手」「アナウンサー」などを「一見〜ふう」の中に、たとえ入れたとしても、おそらく何の差別感も感じられないでしょう。
マイナスのイメージをもつ職業で、「ホームレス」以外に使われるものとしては「暴力団員」がありますが、「暴力団員ふう」は、「反社会的な暴力団というものを許してはならない」「糾弾の対象であることが常識である」ためか、許されるような気もします。ただ、「暴力団員ふう」と言われた人が「暴力団員」でない場合には、名誉を傷つけられたと感じるでしょうから、やはり使わない方がいいのでしょう。
2001/11/8
◆ことばの話469「おといれ中」
「○○アナウンサーはいらっしゃいますか?」
「いま、"おといれ中"なんです。」
と、アナウンス部にかかってきた電話にアルバイトの女性が答えたら、受話器の向こうで笑い声が聞こえたそうです。彼女は「音入れ中」、つまり「録音中」と言ったつもりだったのですが、どうも相手は「おトイレ中」という意味にとったようです。
また別の日、後輩のAアナウンサーが
「じゃあ、報道で、おといれ行ってきまーす!」
と元気に7階のアナウンス部を出て行きました。ちょうど地下の報道局に行く用があった私が、
「あっ、ボクも行く!」
と後を追いかけたところ、Aアナは、エレベーターに乗らずにそのまま女子トイレに入っていきました。あとでAアナに、
「おまえ、"報道でおといれ"って、"おトイレ"のつもりだったのかい?」
と聞くと、
「いえ、本当に報道で"音入れ"だったんですけど、その前に"おトイレ"に行きたくって・・・・。」
自然現象だから「行くな!」とは言いませんが、ややこしいことを言うなよな。
ちなみに「ややこしい」のことを大阪では「赤子のしょんべん」とも言います。
つまり、「ややこ」十「しい」です。
2001/11/8
◆ことばの話468「小泉総理とエンニオ・モリコーネ」
少し旧聞に属しますが、ジェノバ・サミットが行われたあとだったでしょうか、帰国した小泉総理大臣に、いわゆる番記者(かな?)の女性が、こんな質問をしていました。
「最近はX−JAPANは聞いてらっしゃるんですか?」
それに答えて小泉総理いわく、
「最近はね、パガニーニとエンニオ・モリコーネ。イタリアのベルルスコーニ首相にもらったCDを聞いてるよ。いいね。癒やされるよ。」
これに対して、記者から続いての質問はありませんでしたが、私ならそこで、
「ニュー・シネマ・パラダイスですね?」
と突っ込むところですが。私も大好きです、モリコ−ネ。
しかし、X−JAPANを聞いたりエルビス・プレスリーのベストアルバムを選曲したりオペラを聞きに行ったりパガニーニやモリコーネを聞いたり「宗右衛門町ブルース」を歌ったり、小泉総理の音楽鑑賞の幅は広いですな。それだけ、音楽を受け入れる情緒的素地がおありなんでしょうね。
情緒的といえば、終戦記念日をさ避けたものの、断固として靖国神社に参拝したのも、あの戦争でなくなった人たちの霊を弔うという非常に情緒的な、我々のメンタリティに訴えかける、日本人的な情緒によるものだと思います。
であるならば、もう一歩だけ踏み込んで、 日本人の情緒だけではなくそれをとりまく近隣諸国の人々の情緒、メンタリティにも十分配慮する必要があるのではないでしょうか。もちろん、それを第一にせよというのではありませんが。
エンニオ・モリコーネが作曲した曲には、「ニュー・シネマ・パラダイス」だけではなく、
「夕陽のガンマン」もありますが、あんまりぶっ放すと、癒されなくなってしまいますので、ご注意、です。
ちなみに、最近のお気に入りは、ジョナサン・イライアスだそうです。これは知らないな。
2001/11/13
(追記)
2005年10月、にエンニオ・モリコーネが来日し、大阪と東京でコンサートを開きました。東京のコンサートは小泉総理も聴きに行ったと、新聞に写真入りで出ていました。大阪のコンサートは朝日放送の主催で、シンフォニーホール。私も聴きに行きたかったのですが、残念ながら都合がつきませんでした。
さて、ちょうどその頃に放送された読売テレビのドラマ「日本のシンドラー・杉原千畝物語〜六千人の命のビザ」、このポスターを見ていたら、音楽担当者の名前に「モリコーネ」の文字が見えるではないですか!
しかしよく見ると「エンニオ」ではなく、「アンドレア」でした。
これはまったくの別人なのか?それとも血縁者なのか?ネットで調べたところ、この「アンドレア・モリコーネ」は、「エンニオ・モリコーネ」の二男だということがわかりました。これまでにも中森明菜主演の日本テレビのドラマ『冷たい月』の音楽を担当したことがあるそうです。へえー知らなかったなあ。
2006/1/5
◆ことばの話467「限定」
ふだん通勤に使っているのは、緑色の車体の京阪電車です。その京阪に、数ヶ月前から、新しく売り出し中の超高層マンションの名を冠した宣伝用の青い車体の電車が、2編成だけ走っています。これに載れると、なんか得したような、今日はいいことありそうな。
ある日のこと、いつものように京阪・京橋駅で降りて、売店に立ち寄ったところ、その「青い電車」の模型を売っているではないですか。
この模型のシリーズには、日本全国のいろんな電車があり、うちの4歳の子どもが小さいときから好きなので、出張などに行った時におみやげとして買ってきていたのですが、まさかたった2編成しかない京阪の青い電車まで、模型として売り出すとは!ふと横をみるとそこには、「限定500台」の文字が。おお、これはお値打ち品、買うしかない!とすぐに購入。その日、家に帰って、子どもに自慢気に「ほら、青い電車!」と見せました。
(断っておきますが、私はいわゆる"てっちゃん(鉄道マニア)"ではありません。息子は少し"てっちゃん"ですが。)
「これはね、限定品だったんだよ。」
というと、4歳の息子は、
「"げんてい"ってなに?」
と、当然、聞いてきます。
「少ない数しか作ってないってこと。」
「いくつしか、つくってへんの?」
「ん?500台だけなんだよ。」
「ごひゃく?・・・おおいやん!!」
4歳の子どもにとっては、たしかに「500」は想像を越える、大きな数に違いありません。お風呂の中で数える数も、せいぜい「20」までだし、お金で理解できるのは、「100円」までです。ときどき、お店やさんごっこの中で、なぜか「1万円!」と叫んだりしてますが、彼が売っている商品は、ほとんどが「10円均一」です。ごっついデフレ?
4歳にとっての「500台」はまさに「天文学的数字」と言えるでしょう。そこで、息子に向き直った私は、
「そうやなあ、500は多いなあ。」
と苦笑混じりに答えたのでした。
ちなみに後日、もう一度売店で確かめたところ、限定台数は500台ではなく6000台
でした。息子の言うように「多いなあ。」と感じました。その青い電車を買ってから2週間ほど経ちますが、いまだに売店では、「限定6000台」と書かれた小さな幟の横で、青い電車が売られています。
(おまけ)
それにしても気になるのは、テレビショッピングで言っている「限定10万セット」という包丁セット。「10万セット」というのは、果たして「限定」しているのかどうか。どう思いますか?
2001/11/16
◆ことばの話466「牛由来」
近くの生協に、久しぶりで買い物に行った時のこと、こんな張り紙がありました。
「当店では、牛由来の材料を使用していないことを確認しておりますので、ご安心してお買い求め下さい。」
狂牛病の影響は、「牛肉」のみならず、こんな形でも現れているのですね。
それにしても「牛由来の材料」というのは初めて聞いた表現でした。意味はもちろん分かりますが、「牛由来」。「由来」を辞書で引いてみましょう。
「由来」
【1】どのようにして、それが現在まで伝えられて来たかの歴史。(例)「由来書」
【2】起源を尋ねると、そこまでさかのぼることが出来ること。(例)「地名の由来」「中国に由来する美術」(新明解国語辞典)
どうもこの2番目の二つ目の例「中国に由来する美術」の「由来」が、「牛由来」と同じ使い方のようですね。つまり「牛に由来する材料」ということです。「に」を省略しない方がわかりやすいのにな。
牛肉のように見たらわかるものと違い、化粧品やインスタント食品、サプリメントと呼ばれる健康補助食品などは、見た目ではウシのエキスやコラーゲンなどが使われているかどうか、全くわかりません。そういった意味では確かに「起源を尋ねてそこまでさかのぼること」で、ウシを使っているかどうかを確認しないと、安全かどうかはわかりません。
由来をしっかりと調査・検査することを、今後も続けるように、メーカーや自治体に、強く求めます。
2001/11/14
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